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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

意欲を失わせないように

第736号 2020年9月11日(金)
こぐま会代表  久野 泰可

 新型コロナウイルス感染症対策として初めて経験した2カ月間の休校措置は、教育現場にいる者にとって、慣れない作業をせざるを得ない緊急事態となり日常が一変しました。私たちも通常の倍近い仕事をこなさなければならない状態に追い込まれ、「休業措置で会社に行っても何もやることがないんだよ」と言っていた知人がうらやましくも思えました。教育を止めてはならないという一心で、それまで経験のない「オンライン学習」の撮影をしたり、オンラインでの面談やクラス会を行ったり、家庭学習が充実するようにと新しい問題集を急遽作ったり・・・と全力で取り組みました。

2カ月間の休業要請が解除されても、今度は感染症対策のために神経を使った授業運営が求められます。マスクをしながらの対面授業は息苦しく、教師にとっても子どもにとっても決して楽しいものではありません。同時に、授業説明をオンライン配信したり、まだ教室に通えない子ども向けに「オンライン授業」の撮影をしなければならず、それは今も続いています。しかし、教育を止めないためにせざるを得ない仕事の中には、これからの教室運営にとってプラスになる経験もたくさんありました。それだけではありません。あらためて「事物教育」「対話教育」のすばらしさを発見することができました。子ども同士が決められた時間に教室に集まり、事物を使って対話しながら授業を進めていくあたりまえの対面授業の中に、新しい価値を発見できたように思います。それは、オンライン学習をせざるを得なかった2カ月間の経験があったからこそだと思います。再開した授業で物事に取り組む生き生きとした子どもの姿を見ていると、「事物教育」のすばらしさを実感します。

「オンライン学習」はツールとして生かす方法はいくつもありますが、オンライン学習が目的になっていきそうな今の動きを心配しているのは私だけでしょうか。学ぶ目的を明確に持った学生ならともかく、学習の動機付けから用意しなければならない幼児期の学習にはモノが必要であるし、人が顔を突き合わせる場が必要です。それだけではありません。今はやりの「非認知能力」を育てるためにも人が集まる場が必要です。人が集まってこそ「会話」をし、「目標を共有」し、「協力」し、「励ましあって目的を達成」することが可能です。他者を思いやる感情も集団活動があってこそ芽生えるものです。

知識の伝達や知識の習得だけが目的であれば、オンライン学習でも可能でしょう。しかし、個別化された学習は味気ないものになり、興味関心も持続しないでしょう。これからの教育に何が必要かいろいろ議論されていますが、「意欲」を育てる教育がどうあるべきかは一つの大きな課題であることは間違いありません。

オンライン学習は、無駄をなくした効率の良い教育方法としてクローズアップされていますが、その無駄の中にこそ教育本来の何か大事なものが隠れているはずです。「意欲を育てる教育」は、非効率なそうした無駄の中に存在しているかもしれません。非認知能力の育成にとって大事な「意欲」は、人と人との関わりあいの中ではぐくまれていくものです。その中にあって、教師が果たす役割は想像以上に大きなものがあります。着席して待っている子どもたちが、教室に入ってくる教師を見つめる視線から、「一体今日はどんなことが始まるんだろう」「どんな楽しい実験をするんだろう」・・・そんなワクワクした気持ちが伝わってきます。それを受け止めながら始まる授業は、わたしたちにとっても真剣勝負の時間です。ですからあっという間に1時間半が過ぎ、それは私たち教師だけでなく子どもたちにとっても同様で、「今日はもうこれで終わりなの」と感じさせているようです。

ここにきて一方的な「映像学習」と、教師と子ども、子ども同士のやり取りが活発に交せる「対面授業」とを比べる必要もありませんが、「意欲」は人間関係の中で育つものですし、逆に「意欲」をなくしていく原因も人間関係の中で起こるものに違いありません。受験が間近に迫ったこの時期になると、その「意欲」をなくしていく現象がよく見られます。多くの場合、その原因は母親との関係にあることはこれまでたくさん見てきました。せっかく長い時間をかけて積み上げてきた基礎教育です。ここにきて学ぶ意欲と自信が失われていくようなことがあってはなりません。願書の提出が終わる10月に入ったら、焦らず、心を落ち着かせ、子どもにプレッシャーをかけない努力が何よりも合格に導く大切な心構えだと思います。

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