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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

「見て・触れて・考える」

第707号 2020年1月31日(金)
こぐま会代表  久野 泰可

 ネットで調べごとをしていると、意図的に探していなくても偶然に関連する記事に出会うことがよくあります。仕事上、教育関係の記事をよく読むのですが、最近出会った時事ドットコムニュースの記事「なぜ韓国の科学者はノーベル賞に手が届かないのか」(2019年11月22日配信)は、幼児教育を考える視点として大変役立つ内容でした。

この記事は、ジャーナリストの崔碩栄(チェ・ソギョン)氏の文章ですが、ご自身の教育体験を踏まえて「日本との教育の違い」を述べています。彼は韓国が科学分野でよい成績を得られない原因について、韓国でよく言われる理由として、
  1. 基礎科学への無関心
  2. 民・官の支援不足と研究環境の不備
  3. 過程より結果を重視する雰囲気
の3つをあげていますが、根本的な原因は「教育」にあるように思うと書いています。

崔碩栄氏は、1980年代にソウルで中学・高校に通った時の教育を振り返り、学生時代に受けた教育はノーベル賞とはあまりに縁遠い気がするといい、その内容を具体的に述べています。

理科の授業では、中学1年から高校を卒業するまで一度も理化学機器に触れたことがなく、使い方も含めた化学実験の方法などは、「体験」ではなくすべて「文字」として頭の中に蓄積されてきただけといいます。また、3年間の高校時代、国語や現代文学の時間に「作文」をすることはなく、自分の意見や考えを文章として表現する機会がなかったようです。大学入試の準備のために問題集ばかりをやっていて、一方的な「入力」だけがあり、自分の意見・発想を披露する「出力」の機会が全くなかったというのです。

ここまで読んで、私は自分の体験を思い出しました。8年ほど前、韓国から教育視察団がこぐま会の授業を見学に来たことがあります。1時間半の私のばらクラス(年長児)の授業を見学した後のセミナーで感想をお聞きすると、異口同音に「先生の授業は子どもの能力を引き出す素晴らしい授業でしたが、私たちに同じような授業をできる自信がありません。私たちは教員養成課程で、教育は教え込むことだと教えられてきましたから、子どもの力を引き出す今日のような授業はできません。」というのです。教育イコール知識の伝達と教えられてきたのでしょう。崔碩栄氏の発言と重なって、当時の韓国の教育法がわかります。しかし、同じような教育を受けたのは、自分と同じか、もうひとつ下の世代ぐらいだけだと言い、教育内容が改善された今、彼らが大人になったときに創造的な発想を持ち、個性的な研究を成し遂げることができるかもしれないと、今後への期待でこの文章を締めくくっています。

私がこの記事に注目したのは、韓国がノーベル賞を取れない理由を議論するためではありません。これまで実践してきた幼児期の基礎教育の方法について想いを巡らせるとき、こうした意見は大変参考になるからです。私は、幼児教育をめぐる現在の状況をいろいろ考える際に、私たちが実践してきた「事物教育」の意味をもう一度捉え直さないといけないと考えています。それは、以下のような現状認識があるからです。

  1. 無償化をはじめ幼児教育に関心が向き、民間の幼児教育産業に他業種が参入しているが、あまりにも子どもの成長・発達を無視した教育が横行している
  2. 幼児教育の低年齢化に伴い、1歳児ごろから知識の教え込みが当たり前のように行われている
  3. 小学校の正課に英語教育が取り入れられるということで、幼児期の英語教育を低年齢から行う風潮が見られる
  4. 小学校受験に向けた教育は、ペーパーを使ったトレーニングだけを徹底してやればよいという風潮ができ上がっていて、1日何十枚のペーパーをやらなければ合格できないといった根拠のない噂話が流れている
  5. 受験に向けて2年間も毎日ペーパーに取り組まされた子どもが小学校に合格し、入学後に学習面で問題を抱えるケースが増えていると、学校関係者は嘆いている。勉強の仕方に問題があることは、すでに受け入れる学校側は把握している。受験対策の在り方に警鐘を鳴らす学校も出てきたが、もっと多くの学校で言わないと現在の異常な事態は改善しない
  6. 新井紀子氏は、著書「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」の中で、日本の子どもたちの読解力のなさを警告していたが、実際最近発表されたPISAの試験では、日本の学生の国語力が世界15位にまで落ちたことが発表され、新井氏の懸念が現実なものになった。こうした将来の学力問題を抜きに幼児教育は語れない

こぐま会で実践してきた「事物教育」は、こうした状況の中で「遠回りな生ぬるい教育だ」と言われることもよくあります。特に受験業界では「スパルタ」でなければ合格できないと批判されることもよくあります。しかし、将来の学力の基礎づくりを第一に考え、受験対策もその過程で考えていこうとするこぐま会の教育が、実際の入試で大きな成果を上げている事実は、事物教育の有効性を語る何ものにも代えがたいエビデンスのひとつです。崔碩栄氏の発言を待つまでもなく、認識心理学者のピアジェは、「人間の認識能力は物事に働きかけることによって身についていく。知識の教え込みでは、考える力は身につかない」と明確に言っています。1歳児から読み・書き・計算をしたり、2歳児から小学校受験と同じようなペーパートレーニングをして一体どんな力が身につくのでしょうか。これからのAI社会の中で必要な「考える力」「想像する力」にはつながっていかないと思います。

実際に実験器具も使わず、紙上で実験をし、その結果を頭に叩き込んで知識として理解していくような教育では、その経験をもとに新しい発見ができるはずはありません。実物を操作し、試行錯誤して結論を身につけていくことによって新しい発想が生まれるはずですが、その実物が何もないという80年代の韓国の指導方法は、今日本で盛んにおこなわれているペーパー主義の受験対策と同じです。こんな薄っぺらい教育で大事な幼児期を過ごすことは、大変残念です。幼児期の基礎教育は内容もさることながら、教育の方法をもっと考えてほしいと思います。ゆがんだ教育で、次の世代を担う子どもたちの大切な「考える力の芽」を摘み取ってしまってはなりません。「見て・触れて・考える」ことを、幼児期の教育方法の原点にしなくてはなりません。


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