ページ内を移動するためのリンクです
MENU
ここから本文です
週刊こぐま通信
「室長のコラム」

「一周遅れの教育後進国」

第697号 2019年11月15日(金)
こぐま会代表  久野 泰可

 大学入試改革に伴う英語試験の方法や、国語・数学に関する記述式問題の採点などを巡って、いま国会でもさかんに議論されています。文部科学大臣の「身の丈」発言は論外だし、最初から分かっていた記述式の採点の難しさをいまさらなぜ議論するのか・・・日本の教育行政の欠陥は、現場の意見に真摯に向き合わないところですが、今回の問題もまさしくその典型でしょう。私は数年前に予備校関係者から、「記述式の採点は無理であるし、文科省はできると言っているが、そんなことあるはずもない。もしその方針を進めたら、責任を問われて自殺者が出るかもしれない」と・・・聞いておりました。採点をどうするかをめぐっては、一企業と密接につながっている様相が明らかになり、これもまた権益の問題をめぐって政治問題化しそうな雲行きになってきています。族議員の存在や天下り先の民間企業と癒着した行政が、この教育の世界にまで及んできていることを知るにつけ、教育現場で真面目に働いているものにとってはやりきれない気持ちになります。

ところで、11月14日放送のテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」の中のコーナー、玉川徹氏の「そもそも総研」で、日本はすでに教育後進国で、このままいけば先進国に1周遅れてしまうという報告がありました。インタビューに登場した田坂広志氏(多摩大学大学院教授)の話はとても具体的で説得力があり、興味深く聞きました。日本が先進国に比べ1周遅れの教育後進国になってしまう原因を3つ挙げていました。

1. 教育の責任を誰が持つのか。家庭か国かという根本的な違い
 経済格差が教育格差を作らないようにする必要がある。教育先進国としてモデルになっている北欧諸国は、大学卒業まで国が責任を持っている。それに比べ、日本は教育に投資する費用が先進国中最下位にある
2. 競争か自己目標か
 教育向上のために日本では競争原理を導入しているが、それによって全体の学力が向上することはない。これからの教育は自分の未来のために「自己目標」を掲げて進むべきである。競争原理の導入で学力が向上するというのは幻想で、一部の勝ち組には意味があっても、成功体験がなければ自己肯定感につながらず、かえって学力は低下する。それはスウェーデンですでに実証済み。ひとりひとりに成功体験を持たせるためには、優秀な指導者が必要。教師の社会的地位を高めないと、教育界に有能な人材が集まらない
3. 若年学習のみ VS 生涯学習
 世界各国では、社会に出てからもう一度大学に戻って学びなおす傾向が増えている。大学入学者のうち25歳以上の割合が、世界の平均では18.1%くらいであるが、日本ではたったの1.9%に過ぎない。現存する人間の労働の49%近くがAIやロボットにとってかわる時代を迎えるにあたり、人間の果たす役割は何なのかを考えなくてはならない。自分や組織に付加価値を付けられる人間になるためには、社会に出てからもう一度学びなおすチャンスが必要である

幼児教育の現場に身を置いて日々子どもたちと悪戦苦闘している立場から、日本の教育の在り方を考え続けてきましたが、幼児教育の現場から見ると、日本は海外に比べすでに2周遅れになっているのではないかとさえ思います。それは、教育行政にあたる人たちの意識の問題だけでなく、現場にいる教師たちの意識、それを指導する大学教師たちの意識、そして子育てに携わる親の意識・・・どれをとっても、教育先進国の人たちとの意識の違いに驚くばかりです。こちらのコラムでも過去に何回も書いてきました。

「日本の遊び教育は素晴らしいと思うけれど、中国のこれからを考えたとき、あんなのんびりした教育では国の発展に寄与できない」(中国のピアジェ研究者 ※13年ほど前)

「日本の遊び教育は望ましいけれど、私の園でそれと同じことをやったら、明日から子どもたちは他の園に移ってしまう」(香港の保育園園長)

「この教育(KUNOメソッド)を受けると、受けなかった子に比べ、大きくなった時どのように違ってきますか」(中国・シンガポール・ベトナム・タイなどの保護者 講演会の質疑応答にて)

10月からはじまった「幼児教育の無償化」は、子育て支援の一環として意味がありましたが、教育の質を向上するという点においては何の意味も持っていません。いま幼児教育に必要なものは、5歳までの教育をどのように組み立てるかという点です。その点に関しては、残念ながらどこからも声が聞こえてきません。「考える力が必要だ」と言われても、また「小学校とのつながりを考えた教育を」と言われても、何をどうすればいいのかの議論も始まっていません。教育改革にとって必要な現場での議論が何もないのは、大学の入試改革と同じ構造です。カリキュラムの構成・教材教具の在り方・指導の方法・人材育成・・・現場にはさまざまな議論が必要なのに、それすらなされていない現状では、新しい教育は構築できません。教育後進国にすでになってしまっているという危機意識を持ちながら、1周遅れにならないように幼児期からの基礎教育を真剣に考えなければなりません。

PAGE TOP