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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

子どもの視点が欠落した議論

第578号 2017年6月2日(金)
こぐま会代表  久野 泰可

 来年度から施行される新幼稚園教育要領が3月に明らかになりました。今回の改訂では、特に「小学校へのつながり」が強調され、各幼稚園でもどのような取り組みが必要かの議論が盛んに行われています。多くの自治体で「幼児教育センター」が設立され、カリキュラムの研究・開発や、新人教師の研修に力を入れていこうとしています。こうした動きの背景には、OECDの保育政策の理論的支柱であるジェームズ・ヘックマン氏の影響が強くあるように思います。その中でも特に注目されている「非認知能力」の考え方が、幼稚園や保育園での活動に弾みをつけ、「遊び」や「体験」を通して非認知能力を身につけるといった流れが強まっているようにも思います。日本の教育の中で大事にされてきた集団活動が、今あらためて「非認知能力」を育てる絶好の機会だということで評価されていますが、幼児教育の在り方の議論の中で避けては通れないものは、将来の学習の基礎となる「幼児の思考力をどう育てるか」であるはずなのに、その点の議論がどこからも聞こえてきません。

5月4日から始まった読売新聞朝刊の「教育ルネサンス」で取り上げられた「模索する幼児教育」の7回シリーズには、さまざまな教育活動や実践が紹介されています。こうした各園での取り組みは、日本の伝統である「遊び保育」「自由保育」の中から生まれてきたもので、ヘックマン氏の主張とは直接関係ありません。自然の中で生きる力を養うという「森のようちえん」のような実践がある一方で、フラッシュカードを使った漢字の授業のように、学校教育を先取りする幼稚園や保育園の人気が高いという報告もあります。こうした先取り教育は、私がこの世界に飛び込んだ45年前からあり、今に始まったことではありません。こうしたさまざまな教育活動が行われる背景には、小学校以降の義務教育のように国家の教育方針(学習指導要領)の縛りがあるわけではなく、自由な教育活動を認めるシステムがあるからにほかなりません。最近の例でいえば、「森友学園」の教育活動がなぜ認められるのか・・・といった素朴な議論に通じるものがあるのです。

こうした日本型の自由な教育活動を前提に、その上でやはりいま必要なのは、「模索する幼児教育<5> 小学校との「段差」小さく」で報告されている「小学校への橋渡し」をどうするかという課題に、みんなが知恵を出さなければならないということです。各自治体で取り組む「スタートカリキュラム」や「アプローチカリキュラム」が充実してくれば、おのずから幼児期に行うべき課題が明確になってくるはずです。我々の実践感覚でいえば「幼小一貫カリキュラム」であり、そのことを突き詰めていけば、現在の小学校低学年の指導内容すらも変えていかざるを得ないことに行きつくはずです。それは、「小学校1年生の4月がみな同じスタートライン」と言ってきた従来の考え方が、実は幻想であったということであり、学習は生まれた瞬間から始まるという認識をみんなが持たなければなりません。「5歳までの教育が人間の一生を左右する」というヘックマン氏の考え方は、見方を変えれば不安を煽るものにも聞こえます。その5歳までの教育を、家庭の力だけに頼るのではなく、公の教育機関で行う体制をつくるとすれば、やはり一定の教育目標がきわめて具体的に出されなければならないはずです。しかし、今度新しくなった「幼稚園教育要領」を見ても、内容や方法は漠然としていて、解釈次第ではまったく違う実践が可能になるような、現場の人間にはあまりにも不親切なものと言わざるを得ません。

伝統的に日本の幼稚園・保育園では、「知育」を毛嫌う雰囲気がありました。30年ほど前から幼稚園に出向いて幼児期の基礎教育の重要性を訴えても、「知育は小学校からでよい」「知育は幼稚園や保育園にはなじまない」・・・と言っていた関係者がほとんどでした。最近では、私の話に耳を傾けてくださる方が増えてきたように思いますが、まだまだ現場には浸透していません。一方で、今回の報告にもありましたが、母親の半数以上が、幼稚園や保育園に対して「知的教育」を増やしてほしいと希望しているのです。だから「先取り教育が良い」というのではなく、幼児期の発達に見合った基礎教育がどうしても必要なのです。その中身の議論が何もないのが、日本の幼児教育の現状です。少しずつ公開されている幼稚園や保育園の実践カリキュラムをみても、一番の問題は子どもの視点が全く欠落しており、カリキュラムを作成する大人側の満足に終わってしまっています。その証拠に、
  1. その活動や学習が将来のどのような学習につながっていくのか
  2. 本当に身に付いた力になっているのかどうか
この点の検証がありません。大人が好ましいと考える経験・好ましいと考える学習としてつくったものが、子どもの視点で検証されているかどうか・・・この点が重要です。これが改善されない限り、日本の幼児教育は、世界の動きにまた後れを取ってしまうことにもなりかねません。

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