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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

物事に触れ・働きかける

第295号 2011/6/3(Fri)
こぐま会代表  久野 泰可

 現在日本全国160近くの書店で、こぐま会の教材を扱っていただいておりますが、そうした教具教材の販売を通じて、全国各地の教育関係者や、韓国・中国・バングラデシュといった海外の教育関係者とも繋がりができ、「幼児期の基礎教育」について議論する機会が増えています。私の担当する授業を実際に見学されると、その内容や授業方法について、既存の幼児教育のイメージを変える衝撃を与えるようです。特に事物を使った活動と、それに続くペーパーワークの連動性に驚かれるようです。

こぐま会の授業方針の一つに掲げている「事物教育」は、実際の授業場面をご覧いただくと誰もが納得され、子どもの生き生きとした取り組みに新しい教育の可能性を見ていただけるようです。私たちは何十年と当たり前の如く「事物教育」を実践してきましたが、初めて見る幼児教育関係者にとっては目から鱗のようです。2月に来日し、私の授業を参観されたバングラデシュの大学教授は、そもそも事物教育という発想のプログラムや指導法を見た事もないと言っておりました。そういえば、昔私自身が海外に出て幼児教育に関するメソッドや教具教材を集めている際、「モンテッソーリ法」以外に実物を使った教授法や具体的な教具がほとんど見当たらず、イギリスで行われた展示会でも、幼児教材のほとんどがワークブックだったという記憶があります。

小学校以降の教育が世界中どこでも、教科書とノートがあればほとんど事足りるという現実を考えると、幼児期の教育もそうした流れで「教科書とノートさえあれば・・・」になりがちです。そうした現実を考えても、確かに「事物教育」が体系化されたことはほとんどないと言っていいかもしれません。だからこそ私たちの「事物教育」に意味があり、多くの人が関心を持たれているのだと思います。

私が事物教育にこだわり、その教具教材の開発に力を入れてきたのは、ピアジェの文献にあった次の一言にこだわり続けているからです。

「幼児の認識能力は、物事に働きかける活動によってしか形成されない」

きっと、ルソーが「エミール」の中で述べていることも、遠山啓氏が「歩きはじめの算数」で言っていることも、またモンテッソーリの教具に関心が集まるのも、幼児が認識を深めていくプロセスは、物事に働きかける経験以外にあり得ないという共通認識があるからなのでしょう。物事に働きかけ、試行錯誤する中で考える力が育っていくプロセスは、40年間幼児の指導に当たってきた経験から手に取るようにわかります。受験に向けた教育といえどもこの原則を外してはなりません。それは、1枚のペーパーを理解する基礎を、具体物経験から積み上げていかないといけないということです。教え込みの方法では、考える力は決して身につきません。また幼児の場合、教育の原則である「具体から抽象」への橋渡しは、事物教育を通してスムーズに実現できるはずです。幼児期における「数の内面化」等の促進も、具体物経験があってこそ初めて可能になるのです。物事に触れ、物事に働きかける経験を豊かにすることによってしか、将来の教科学習の土台をしっかりと築いていくことはできません。

ものに触れ、物事に働きかけ、試行錯誤を繰り返す中で、
子どもたちの認識は育っていきます


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