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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

試行錯誤する力を育てる

第296号 2011/6/10(Fri)
こぐま会代表  久野 泰可

 6月4日と5日の両日、韓国の幼稚園や保育園の園長・副園長の方々11名が、私の授業を見学するために来日されました。年長クラスの数の授業(10の構成)と図形の授業(展開図と線対称)を見学され、それと合わせて2日間にわたり、私の講演会にご参加いただいたり、意見交換を行ったりしました。

先日、韓国の李明博大統領が、公立幼稚園に通う5~6歳児の保育費用を負担する政策を発表しました。実質義務化することになり、その結果として就学年齢の一年引き下げが行われることになったのです。家計における私的な教育費の増大を抑えようという背景もあるようですが、その結果どんな教育課程を組むのか、教育関係者の間では関心が高いようです。

そうした状況下で園長先生方は、「考える力」を育てる教育をぜひ実践したいという想いで見学にみえたのです。私の授業を見学され、「事物を使った教育」「対話する教育」に大変驚かれたようです。韓国においても日本同様、昔から「注入教育」、つまり詰め込み教育が行われ、その結果、小学校高学年以降その弊害が大変大きな問題となってきているようです。日本でも、幼児期から教え込みの教育に走り、例えば算数で計算が速くできるようになっても、4年生以降の文章題になると立式できないという、いわゆる「計算ができても、文章題になるとお手上げ」という現実が深刻化しています。そうした現状を考えるとどこか共通点があるように思います。「なぜ、注入教育ではいけないのか。」とよく聞かれます。それは、「自分で考える力」が育たないからです。

最近の大学入試や中学入試の問題がどう変化しているのか、専門領域ではないので詳しくはわかりませんが、少なくとも20年前の入試とは相当違うであろうし、知識を問う問題から論理的思考力を問う問題に変化していることだけは確かだと思います。最近行われた算数オリンピックのトライアルの問題を見ても、そのような想いを強く持ちます。

教育は常に結果が求められます。結果を早く求めるあまり、解き方だけを教え込んでいく教育が蔓延っています。しかし、そうした教育ではいずれそのメッキははがれていくでしょう。だからこそ、物事に触れ、働きかけることを通して認識を育てていく教育、いわば「試行錯誤する力」を育てる教育が必要です。時間をかけて、自分で考え、自分の力で解いていく「事物教育」が、特に幼児期には求められています。すべての学力の土台を形成する幼児期に教え込みの教育を受けてきた子どもたちが、入学後どうなるか。だれが考えても明らかな事です。受験対策として盛んに行われている教え込みの教育がどんな結果をもたらすか、指導者も保護者も真剣に考える時です。

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