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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

受験を子育ての良いチャンスに

第181号 2009/1/9(Fri)
こぐま会代表  久野 泰可

 あけましておめでとうございます。

昨年秋の受験を終えたご家庭では、4月入学を心まちにしていることと思います。これまでの学習を無駄にしないよう、さらなる飛躍を目指して学習を継続してください。
また、今年4月に年長になるご家庭では、秋の受験に向けてさまざまな準備をスタートさせたことと思います。どうか間違った受験対策にならないよう、正確な情報を集め、焦らず一歩一歩前進してください。

小学校入試は子どもにとっても、ご両親にとっても確かに大変な面もありますが、私は捉えようによってはこれほどいい「子育て」のチャンスはないと思っています。それは次のような意味においてです。

  1. これまでの子育てのあり方を振り返ってみることができる。
  2. 何よりも基礎学力の育成にとっていいチャンスである。
  3. 受験を目指すことによって、子どもの将来や進学のことについて両親で真剣に話し合える機会が持てる。
  4. 子ども自身の中に学ぶ姿勢や学ぶ習慣が形成される。
  5. 集団活動等を通じて子どもの個性が把握でき、伸ばすところと改めるところの課題がはっきりしてくる。

毎年、受験を終えた会員の皆さまからお手紙をいただきますが、その中で多くの方が「確かに受験準備のために1年間大変であったけれど、受験を目指したからこそ貴重な経験ができた」という感想を述べています。受験準備のための学習がただ合格させるためのものだけでなく、これから始まる教科学習の基礎になっていけば、これほどいい子育てのチャンスはないと思います。どうかそうした考え方でこれからの受験対策を考えてください。ただ受験は、やり方次第では子どもの成長にとってマイナスに働く場合もあります。「受験だから、合格さえすればいいんだ」という発想で行われている指導が、実は子どもの成長の芽を摘んでしまい、子どもの心に傷を負わせてしまう結果になりかねないということをぜひ知っておいてください。私は外部の方との教育相談を通じて、そうした事実をたくさん見てきました。教育が人と人とのつながりで行われることから、必然的に持ち合わせている矛盾。教師と子ども、母と子、子ども同士・・・そうした人間関係がうまくいかなくなった時、一番の被害者は子ども自身です。特に子どもの人権を無視し、動物を調教するのと同じ発想で子どもたちに接する指導者や、必死であるばかりに子どものことが見えにくくなり「怖い教師」を演じてしまう母親の下では、正常な心の発達など望めるはずはありません。

「合格さえすればどんな方法でもいい」という考え方に立てば、教育の原則も子どもの人権も関係ありません。体罰を伴った指導が行われたり、百点を取った子に皆の前でご褒美におもちゃやお菓子を与え、それを学習の動機付けにしたり、・・・普通では考えられない指導がまかり通っています。そんなやり方で仮に合格したとしても、合格と引き換えに失うもののほうがどれほど大きいことでしょうか。そして、入学後も引きずる心の傷。心に負った傷はそうたやすく癒されるものではありません。小学生や中学生になって、小学校受験で負った心の傷がいろいろな形で表面化しているという現実を見過ごすことはできません。子どもたちが心に傷を負うのは、ほとんどが指導者との関係です。どんな先生にどんな指導をされてきたのか。そして、母親が子どもとどういう関係づくりをしてきたか。それが大事な問題なのです。子どもの成長にとって「受験」を子育てのチャンスにするためには、信頼しあえる人間関係を土台にすることが大切です。やり方しだいでは、子どもの成長を阻害してしまう面を持ち合わせている「受験」。私たち指導者はそのことの怖さをいつも肝に銘じ、子どもたちが、いつまでも明るく生き生きとした表情を失わないように、これからも指導法をいろいろ工夫していかなければなりません。

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