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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

自分の考えを言葉を通して伝えることの大切さ

第165号 2008/09/12(Fri)
こぐま会代表  久野 泰可

 会員を対象に行っているひまわり教室では、「単元別小グループ指導」を昨年から実施してきましたが、2年目の今年はどの講座も大勢のお申し込みをいただき、増設クラスが増えています。苦手な領域や、第1志望として目指す学校の難しい問題に絞り込んで行う1回単位の「テーマ別」講座ですので、子どもの体力や学力の現状を踏まえ、必要に応じてとっていただくことができます。

私が担当する講座のひとつに「行動観察対策講座」があり、これは講座の性格上12名で行っていますが、人気の講座のひとつで、いつも申し込み当日すぐに満席になってしまいます。運動的課題と製作的課題を交互に扱い、すでに7講座を終了しています。この講座の冒頭でいつも行っていることは、円になって自己紹介させることです。名前・年齢・通っている幼稚園(保育園)名などを言って、最後に「よろしくお願いします」と挨拶をする簡単なものですが、子どもにとっては初めての集団ですから緊張します。大きな声で言うように約束し、自己紹介が終わった後は、私のほうから質問を一つずつします。その質問は、毎年の口頭試問の際に、子どもたちが決まって返答に苦労する内容です。そのあとで、そこに参加している子どもたちから、その子に聞いてみたいことを質問させます。友だちのことを知ろうという気持ちがなければ質問など出ませんから、そうしたことを通して他人への関心や関わり方を見ています。こんな当たり前のことができない子が大勢いるからこそ、毎年の入試問題の中に「どうしてそんな問題が入試に出るの?」と頭を傾げたくなるような問題が登場するのです。

先日行った第7回の講座では、次のようなことを試みてみました。「こんなときあなただったらどうしますか」というテーマで、自分の考えを言葉を通して相手に伝え、話し合うことです。

  1. 花子さんは、公園で迷子になった小さな猫を見つけ、家に連れて帰りました。花子さんは、前から猫を飼いたかったのでお母さんに「家で飼っていいでしょう」とお願いしました。お母さんは、「困ったわね。このマンションでは犬や猫は飼えないの。どうしましょう」・・・・・さて、もしあなたが花子さんだったらどうしますか。みんなで考えてあげてください。

  2. 毎朝、朝早くから起きて、花子さんが幼稚園に行く準備や、お父さんが会社に行く準備をしてくれるお母さんが、今日は病気で起きられません。お母さんは田舎のおばあちゃんにお手伝いに来てもらうようお願いしようと思っていますが、お父さんは「おばあちゃんも年だし、東京に出てくるのも大変だし・・・・」と考え込んでいます。さて、あなたが花子さんだったらどうしたらよいと思いますか。一緒に考えてあげてください。

  3. 花子さんには、幼稚園にとっても仲良しの京子ちゃんと広子ちゃんがいて、いつも一緒に遊んでいます。ところが、ふたりとも元気がいいので、よくけんかもします。今日も何で遊ぶかでけんかになりました。京子ちゃんは砂場で遊ぼうと言い、広子ちゃんはままごと遊びをしようと言います。お互いに譲らず、京子ちゃんは砂場へ、広子ちゃんはままごと遊びの道具のある部屋に行ってしまいました。京子ちゃんが「花ちゃん、早く砂場に来て」といえば広子ちゃんは「花ちゃん、おままごとしよう」と呼んでいます。花子ちゃんはどちらに行けばいいのか迷っています。あなたがもし花子さんだったら、どうしますか。

どれが正解でどれが不正解というものでなく、ともかく自分の考えを、言語を通して伝えることができるかどうかを見ようと考えた課題です。予想したとおり、最初のうちはいつも積極的に発表する2~3名の子しか手が挙がりませんでしたが、途中で私が「この問題はどれが正しくて、どれが間違っているかという問題ではないから、自分の考えたことを言えばいいんだよ」とアドバイスすると、大勢の子が手を挙げ、発表し始めました。いろんな意見が出ました。ペーパーで高得点する子が積極的に手を上げるかといえば、必ずしもそうではありません。ある意味で、正解がない問題を考え、発表すること自体が苦手なのかもしれません。「こんなことを言ったら、間違えてみんなに笑われるかもしれない」、「先生からも叱られるかもしれない」そんな不安が先に立つと、もう発表どころではありません。ペーパーで高得点できる子ほどそうした傾向が強いことを私は経験上知っています。教え込まれたとおりの対応しかできなくなってしまっているのでしょうか。

今学校側が行動観察で見ようとしているのは、教え込まれたとおりの解答や行動ではなく、子どもが本来身につけている自然な姿です。物事へのかかわり方や人へのいたわり等の本当の姿なのです。そして「少なくとも6年間過ごす学校生活で、どのように振舞い成長していくのだろうか」、「問題行動につながっていかないだろうか」、「学力を支える自立心がどう身についているのだろうか」・・・・そんな観点で子どもの動きを見ているはずです。

以前「小一プロブレム」ということが盛んに言われたことがあります。座っていられない・人の話が集中して聞けない、その結果小学校1年生で既に学級活動が崩壊している状況が生まれていることが問題になっていましたが、そうした負の部分を発見するだけでなく、積極的な意味で子どもの行動を評価しようという眼で見ているはずです。身についた自然な振る舞いから、「バックグラウンド」としての家庭を問題にしようとしているはずです。だからこそ、先週のコラムで書いたように訓練された不自然さを学校側は拒否するのです。

5~6歳児に、ある問題を与えて話し合うことができるだろうかと、少々不安を持ちながら行なった活動でしたが、予想に反し、この年齢の子でもきちんと友だちの話を聞き、決まりきったひとつの考え(答え)でなく、多様な意見を言えることが再確認できました。集団活動でこそ意味のある「話し合い」が、入試で積極的に取り上げられるのもそう遠くはないはずです。自分の考えを言葉を通して表現することが、今の子どもたちに一番欠けたものであることを学校側は十分把握しているからです。

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