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週刊こぐま通信
「小・中・高 現場教師が語る幼児教育の大切さ」

vol.46「小中高の授業と幼児教育のつながり~もうひとつの小1プロブレム(2)~」

2011年2月25日(金)
学習塾 プラウダス講師 石原弘喜
...前回のコラムからの続き

「めんどくさい」の他にもうひとつ、子どもの知的好奇心が縮みかけているサインがあります。子どもが「つまらない」という言葉を頻繁に発する時は、そのサインであると考えて間違いありません。

「つまらない」という言葉は、「めんどくさい」よりもはっきりと知的好奇心が満たされていないことを示すサインです。幼児期の子どもは日常生活から刺激を受けて成長していきますが、その日常から知的な刺激を受けていないということを伝えています。特に、幼稚園が知的好奇心を刺激するようなカリキュラムである場合には、小学校の内容が「つまらなく」感じてしまいます。

小学校の授業についていけずに授業崩壊を起こすことを「小1プロブレム」と呼ぶことがありますが、これは本質的には小学1年の学校教育に落ちこぼれているのと同じです。一方、前述のような知的好奇心の対象を失った子どもたちは、小学1年の学校教育から「吹きこぼれ」ているとも言えます。しかし、この場合の「吹きこぼれ」が一般に用いられる意味と違うのは、構造的なものであるという点です。

構造的な問題は制度や仕組みを変えなければ変わらないので、子どもの好奇心を高める役割を家庭が担う必要があります。とりわけ、幼児から小学校低学年の時期は、子どもの自己は日常の中に根ざしています。日常が子どもの世界であり、そこから多くのことを学んでいくのです。ですから、日常がふんだんに詰まっているものを子どもに与えることが、子どもの知的好奇心を最大限に刺激することになります。

それでは、日常がふんだんに詰まっているものとは何でしょうか。それは体験と自然です。しっかりと日常を体験させること、そして自然にふれさせること。このふたつは子どもの知的好奇心を刺激する上でとても重要です。ペーパーの勉強はこれらの「まとめ」ですから、日常の体験や自然とのふれあいがなければ勉強が「つまらない」ものや「めんどくさい」ものになってしまいます。

積極的に家事を手伝わせることは必要な体験です。多少の危険を伴うものでも、しっかり体験させる。熱いものは熱いと感じさせ、寒いものは寒いと感じさせる。痛みや心地よさも同じです。親が先回りして子どもから体験を奪うことは、長い目で見ると、そこで発生するかもしれない「危険」よりも遥かに「危険」であることを知るべきです。

図鑑で子どもが興味を持ったものを実際見に行くのもひとつの方法です。環境が許せば、子どもと一緒に朝早く起きてカブトムシを採りに出かけたり、蛍を探しに行くのもいいでしょう。公園を散歩しながら、草木についていろいろ尋ねてみるのもいいかもしれません。教えるというよりは、問いかける。一緒に考える。その手間が、子どもの知的好奇心を刺激するのに必要なことなのです。

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