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週刊こぐま通信
「小・中・高 現場教師が語る幼児教育の大切さ」

vol.44「小中高の授業と幼児教育のつながり~もうひとつの小1プロブレム(1)~」

2011年2月11日(金)
学習塾 プラウダス講師 石原弘喜
小学校1年生の国語の授業でのことです。幼稚園を卒業して二ヶ月ほど経過した時の話です。短めの文章を読んで解く問題でした。


「さあ、この問題を読んでみようか」

「え~、めんどうくさい」

「どうして? 難しくないよ? こういうお話が好きだったじゃない」

「・・・」

「わかった。じゃあ先生と一緒に読もう」

「・・・うん」


このやりとりは特に珍しいものではありません。幼稚園の時は積極的だった子どもが、小学校に進学してしばらく経つと一転して消極的になる場合があります。知的好奇心に溢れて動き回っていた子どもが、電池を抜かれたおもちゃのように、途端に動きを止めてしまうのです。

小学校入学という環境の変化もあるでしょう。しかし、それにしては知的好奇心だけが抜かれた感じを受けるのです。それ以外の行動は幼稚園の時のように活動的で、特に変わった印象を受けません。一体何が原因なのでしょうか。

「小1プロブレム」という言葉があります。小学校に入学した子どもが教師の話を聞くことができずに授業が成立しない問題をこう呼びます。これは、伸び伸びとしていた幼稚園から規則の多い学校の環境への不適応や、家庭での甘やかしが原因として指摘されています。前述のケースは一見これとは逆のようですが、本質的には同じものです。

幼稚園と小学校の隔たり。どちらの原因もこの点に集約されています。両者の違いはその「隔たり」の質的な違いにあります。幼稚園で知的好奇心を刺激されるような教育を受けた子どもが、小学校で同じレベルの教育を受けられない場合、その知的好奇心は急速に萎んでいきます。幼稚園で燃え盛っていた知的好奇心の炎が小さくなる場合のひとつとして、このような小学校教育との隔たりが挙げられます。

幼児期の子どもは、知的好奇心が萎んでいることを言葉でうまく伝えることができません。ですから、子どもが発するサインを見逃さないように注意を払わなければなりません。以前の日記にも記しましたが、「めんどくさい」の言葉は知的好奇心が縮んでいるサインのひとつです。その言葉を以前より多く口にするようになった時には、知的好奇心に火を点けるために何らかの対処を講じる必要があります。

つづく...

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