ページ内を移動するためのリンクです
MENU
ここから本文です
週刊こぐま通信
「小・中・高 現場教師が語る幼児教育の大切さ」

vol.42「小中高の授業と幼児教育のつながり~小5算数の授業から(2)~」

2011年1月28日(金)
学習塾 プラウダス講師 石原弘喜
...前回からのつづき

常識的にあり得ない答えを「答え」として出す子どもに共通しているのは、「勉強の作業化」に陥っている点です。自分の知識や興味の対象とは切り離されたところに勉強が置かれていて、子どもは遠いところからそれを作業しているような印象を受けます。

それはどこか仕事を単にお金を稼ぐ手段として割り切っている大人の姿とも重なります。本来、仕事は生計を立てる手段とは別に、自分を成長させる人生のテーマでもあります。仕事を通じていろいろなことを学び、生きるための力を身につけていきます。そうやって自己を高めつつ、人生を充実させていきます。

ところが、仕事を単に仕事をお金を稼ぐための手段と考えてしまえば、それを得るための必要最低限の効率的な動きしかできなくなります。自分から率先して何かを知ろうとする意欲もなくなり、給与という仕事の対価ばかりを気にするようになります。職場での人間関係を深めることもなく、与えられた仕事についての知識を進んで学ぶ姿勢もない。そうなれば仕事は仕事ではなくなり、日常の「作業」のひとつとなってしまいます。

勉強が作業化している子どもは、仕事が作業化している大人のように、勉強自体が目的となっています。勉強はテストで正解を出すためのものであって、日常の多くの時間と労力がテストで正解を出すことに向けられています。関心があるのは正解と不正解だけで、不正解は「正解ではないもの」という認識で終わっているのです。勉強とは正解を出すための作業。そうであるがゆえに、答えの相当性と妥当性を検証する過程が子どもから消えてしまったのです。作業はマニュアルに沿った手順で進めていくものですから、総合的な視点から自分で考えることはなくなります。

- 確かに答えは出た。でも、これは常識や全体の流れから考えて正しいのだろうか。

正解を出したいという気持ちとは別に存在する知的なこだわり。それが相当性と妥当性の検証に導くのです。それは大人にとっての仕事にも同じことが言えるでしょう。報酬に換算されない仕事へのこだわりがその人自身を成長させ、ひいては仕事の質自体も向上させていきます。

本人も周囲も、勉強をテストで得点を取るための作業と割り切っているうちは、ある一時期だけはうまくいっているように見えても長い目で見れば下降線をたどる一方です。自分の頭で考えること、そして知ることの喜び。勉強という大人が決めた括りを超えた知的こだわりがあってこそ、子どもは本当の意味で成長していくのです。

PAGE TOP