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週刊こぐま通信
「小・中・高 現場教師が語る幼児教育の大切さ」

vol.38「小中高の授業と幼児教育のつながり~京大英語の授業から(2)~」

2010年12月25日(土)
学習塾 プラウダス講師 石原弘喜
...前回のつづき

勉強と日常に一本の線を引いているかいないか。勉強が日常の一部であるのか、それとも日常と分離しているのか。これが難関大学に合格できる資質と大きく関係しています。実際に授業していると、生徒の答からこれがはっきりと浮かびあがってきます。それを実感するのは、京大特有の下線部和訳においてです。

次の英文は、京大英語の問題を一部抜粋したものです。


For all sorts of reasons, specific organs might turn put to be more poorly designed than is possible even within these constraints ; perhaps because such design failures contribute to modifications elsewhere in the highly integrated system that improve reproductive capacity.


本来、これはまとまった英文の一部分です。上記のように数行程度の下線が引かれた英文が二問または三問出題され、それを解釈させるのが京大英語の特徴です。

ご覧の通り、単語ひとつひとつは難解なものではありません。ほとんどの単語が市販の標準的な単語集に載っているものばかりです。しかし、その単語の意味を日本語らしく並べたところで合格答案には遠く及びません。文章全体の流れを理解した上で、下線部分がその流れに沿ったものでなければならないのです。流れに沿うためには、文意を把握する力が必要です。英文の内容を的確につかめなければ、文の流れもつかめません。

前述の問題文は、進化論をテーマにした論文の一部です。「ダーウィニズム」を引き合いに出しながら、格調高い学術的な内容が展開されています。日本語訳は現代文の問題としても耐えうるものであり、進化論にまつわる話にある程度通じていなければ、英文で読み解くことは容易ではないでしょう。英文にしろ日文にしろ、読解というのは内容を予測しながら読み進めていくものです。優れた文章とはその予測をいい意味で裏切るものです。

文章を予測する力とは、ひたすら単語を記憶したり、英語の勉強をするだけで身につくものではありません。日常にある好奇心のアンテナによって吸収された教養とでも呼ぶべき生きた知識が前提としてあるものです。それは日常と勉強を隔てる一本の線を消すことから始まります。私は幼児教育に携わるようになり、この一本の線こそが子どもの未来を隔てる線であると確信するようになりました。

幼児は日常の中で体験を重ね、成長していきます。日常そのものが幼児にとっての学びの場です。日常の中で気づきにくい視点を与えて刺激してやることが大切なのであって、幼児の日常を超えたものを覚えさせたり教えこんだりすることは、日常と勉強に太く消し難い一本の線を引くことと同じです。

一本の線は可能性を隔てる線でもあります。その線を引いていない人は、自分の可能性にも線を引いていません。日常に学びが組み込まれているのですから、日々が学びであり成長でもあります。幼児教育の視点から京大英語を見ると、その問題がいかに秀逸であるかがわかります。同時に、幼児教育がいかに大切であるかも感じさせてくれるのです。

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