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週刊こぐま通信
「小・中・高 現場教師が語る幼児教育の大切さ」

vol.36「小中高の授業と幼児教育のつながり~京大英語の授業から(1)~」

2010年12月10日(金)
学習塾 プラウダス講師 石原弘喜
 難関大学受験と幼児教育にどのような関連性があるのだろうか。その問いに一定の答えを出すことは、両方の教育に携わる私にとって最も重要な命題のひとつでした。その「つながり」がどのようなものであるのか。それを考えることで、幼児教育だけでなく難関大学受験に対しても新しい視点が生まれたことは間違いありません。

私は授業で京大英語の過去問題を好んで用います。京大を志願する生徒が多いという理由もあるのですが、それ以上に出題意図に共感を覚えるからです。京大の英語の特徴は一目でそれとわかる英文解釈にあり、その英文は自然科学・小説・哲学・文化など幅広いジャンルから出題されています。その内容も深く、知的な刺激を与えるもので、現代文の授業の素材としても耐えうるものです。

ある意味、京大英語の対策は存在しないと言えるかもしれません。確かに、英文の構造把握や訳出の方法には訓練が必要であり、それを対策と呼ぶこともできますが、その英文にたどり着くまでの土台は対策という安っぽい言葉で済ませられるものではないからです。英語力を支える野太い国語力。知的好奇心によって常にアンテナが張り巡らされており、自分の世界を日常的に拡張するようになっていなければ、京大英語が求めるものにたどり着けないようになっています。勉強と知的好奇心の線引きがない状態にいなければ、京大英語が求める教養的国語力を読み解くのは困難でしょう。

勉強と知的好奇心の線引きがない状態。それは知的好奇心の延長に勉強がある状態とも言い換えることができます。たとえば、授業の合間や待ち時間に小学生新聞を食い入るように読む小学生がいます。小学生新聞の内容は中学受験の社会の勉強として優れているだけでなく、中高一貫校の適性検査の素材としても効果を発揮します。ある側面から見れば小学生新聞を読むことは勉強に括られるかもしれません。実際、勉強の一環としてそれを読んでいる子どももいます。

子ども新聞を読むという点では、どちらの子どもたちも同じことをしていると言えるでしょう。しかし、子ども新聞を読むことを勉強の一環として捉えている子どもにとって、それは勉強と同じ「特別なこと」なことです。他方、知的好奇心でそれを読む子どもにとっては、何百とある日常の知的好奇心を満たすもののひとつに過ぎません。そして、それこそが勉強と知的好奇心の線引きがない状態と言えるのです。それが難関大学受験と幼児教育の「つながり」と大きく関係しています。

次回につづく

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