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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

教科書が読めない子どもたち

第653号 2018年12月14日(金)
こぐま会代表  久野 泰可

 これからのAI時代は、これまで人間が行ってきた仕事がロボットに取って代わるといわれています。そのため、これからの社会で役立つ人間をどう育てるべきかという視点で、大きな教育改革が行われようとしています。AI社会と聞くと、何かこれまでと違ったすばらしい社会が到来するのではないかと考えがちです。チェスでロボットが人間に勝利したり、音声認識や映像認識の応用で便利な社会になったように感じます。その延長で、ロボットは何でも出来、人間の能力をはるかに凌ぐものだと考えてしまいます。しかし、ロボットは万能なのでしょうか。ロボットは自分で判断できるのでしょうか。統計や確率を武器に数的処理で行う行為が人間の判断力を超えて進化してしまうのでしょうか。そうした素朴な疑問を持つAIについて無知なわれわれに、『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』〈新井紀子著・東洋経済新報社〉は、多くのことを教えてくれます。新井氏は、「はじめに」において、
『多くの人が人工知能に興味を持つことはとても喜ばしいことです。その一方で、たくさんのAI関連書籍が出版され、その多くは短絡的であったり、扇動的であったりしていて、その一部が宣伝されることによって形作られていくAIのイメージや、未来予想図が、その実態とかけ離れていることを私は憂慮しています。』
『AIはコンピューターであり、コンピューターは計算機であり、計算機は計算しかできない。それを知っていれば、ロボットが人間の仕事をすべて引き受けてくれたり、人工知能が意思を持ち、自己生存のために、人類を攻撃したりするといった考えが、妄想に過ぎないことは明らかです。AIがコンピューター上で実現されるソフトウエアである限り、人間の知的活動のすべてが数式で表現できなければ、AIが人間に取って代わることはありません。』(p.1-2)

東ロボくんが東大に合格できるかどうかを実験した結果、東大には合格できなかったけれど、MARCHレベルの有名私大に合格できる偏差値には到達できたようです。なぜ東大に合格できなかったのか、それは人間が当たり前にできることがロボットにはできないからです。例えば、幼児がよく取り組む「仲間はずれ」の問題は、ロボットが一番苦手とすることのようです。物事の共通性を発見できないからです。人間にとって大変難しい数式を簡単に解いてしまうのに、幼児でもできる課題ができないということです。その「東ロボくん」のチャレンジと並行して、新井氏が行った日本人の読解力についての大掛かりな調査と分析は、われわれ教育者に警告を発しています。私は一教育者として、詰め込み教育の結果、教科書程度の文章を正確に理解できない事態を深刻に受け止めています。その上で、私の関わる幼児教育において、どんな課題として受け止めるべきかを考えなくてはならないと思います。

教科書レベルの文章を正確に理解できない原因は一体どこにあるのでしょうか。本を読まなくなったから・・・ということもひとつの原因かもしれません。しかし、もっと深刻な原因があるはずです。それは、「聞く力」と「話す力」が相当落ちていることと無関係ではありません。つまり、「言葉」を介して考えるチャンスが少なくなっているからにほかなりません。それはまた、言語を介して論理を育てることを怠ってきた、これまでの詰め込み教育に大きな問題があるようにも思います。人の話を正確に聞き理解する力、自分の考えを言葉で表現できる力・・・日本人であればそんなことを教育の課題にしなくても自然と身につくと考え、母国語を使って論理的思考を育てることをしてこなかった結果、「聞く」ことも「話す」ことも正確にできなくなっているのではないか・・・と思います。概念を表す言葉が正確に身についていない結果、聞くことも話すこともできない現実があるのだと思います。「どちらがいくつ多いか」が分かっても、同じ場面で「どちらがいくつ少ないか」が分からなかったり、「違いがいくつ」になると何を答えていいのか分からない年中児が多く見られます。また、「仲間あつめ」を行う際に「色で分けた」と言える子と、「これは赤でしょ、これは黄色でしょ・・・」というように表現する子もいます。このように上位概念が使えない子どもたちが大勢います。それを年齢の問題にして片付けてしまうのではなく、教育の課題としてどう取り上げるかを考えなくてはなりません。

文章が正確に読めない子は、幼児期の言語生活・言語教育に何らかの問題があったに違いありません。人の話を正確に理解したり、言いたいことをしっかり表現できない子があまりにも多く見られるからです。子どもを取り巻く人間的な環境が、言語をあまり必要としない状況になってしまっているのではないかとも考えられます。そうした幼児期の「話す」「聞く」をもっと考えなくてはならないのではないか。そのために身近な教材として、「絵本」の活用が有効ではないかと思います。

そんな折、12月10日に「大阪市就学前教育カリキュラムパイロット園研究保育及び取り組み報告会」に参加し、3歳から5歳までの実践を見学してきました。「おはなしから、心をはずませて表現することを楽しむ子どもを育てるための指導のあり方を考える」教育実践でしたが、実にいろいろなことを学ばせていただきました。絵本を活用したすばらしい保育だったと思います。例えば4歳児の教室では、「ペンギンとサメごっこ」という活動を行っていました。報告によると、6月下旬のプール遊びの時に「ペンギンのプール体操」を踊ったことをきっかけに、ペンギンに親しみ遊んできたようです。10月の運動会では、海の生き物を体で表現し、運動会後の園外保育では動物園に行って本当のペンギンを観察し、その後家から持ってきた素材を使って「ペンギンらんど」を作り、それを作品展で保護者に見てもらったようです。その後「狼と七匹のこやぎ」のお話を、今まで親しんできたペンギンとサメに置き換えてオリジナルなお話をつくり、それを読み聞かせると、ペンギンとサメになって鬼ごっこをしたり、指導者が作った大きな絵本を使って、子どもたちと会話しながらお話づくりをするという活動に発展してきたようです。今回の研究保育は、そのペンギン鬼ごっこをするという活動でした。

ペンギンの動きを真似た模倣体操をしたり、制作活動をしたり、ゲーム化して楽しんだり、先生が制作した大きなオリジナル絵本を、ペープサートなども使ってお話をつくりながら子どもたちと対話したり・・・というように、ひとつの体験が絵本と結びついて経験の振り返りをしたり、それを発展させた活動につなげたり、・・・子どもの考える力を育てる手法としてとても大事な、学びの系統性を踏まえた保育でした。絵本は絵本の世界だけで楽しめばよいという意見もあります。しかし、教育の課題として「具体から抽象へ」を考え、生活経験を土台に学びの世界につなげる・・・という意味では、「絵本」の存在は幼児教育にとってとても大事な素材です。そして絵本の世界からまた現実の世界に戻るという繰り返しは、想像力を育む大きなきっかけになるはずです。

教科書が読めない子どもを送り出さないためにも、自然成長を待つだけでなく、幼児期の言語活動を系統立て、教育の力によって解決していかなければならないと思います。ロボット教育に象徴される「数理」偏重の動きの陰で忘れがちな「読解力」をどうするかにもっと光を当てなければなりません。そして大事なことは、読む力・書く力の育成の前に、「聞く力」「話す力」をしっかり育てる・・・それを幼児期の重要な課題にしなければなりません。

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