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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

お受験教育の何が悪い?

第583号 2017年7月7日(金)
こぐま会代表  久野 泰可

 ジェームズ・ヘックマン氏の主張のひとつである、「非認知能力」の大切さが、今教育界で大きな話題になっています。なんとなく分かりながらも正確に捉えられないもどかしさと、一方で、その具体的な方法としてのアクティブ・ラーニングの理解の曖昧さに、さすがの文部科学省もあまり積極的に使わなくなりました。確かに、知識偏重のこれまでの教育を変革するには、うってつけのスローガンであるわけですが、あれも大事、これも大事といわれる中で、理解が拡大していくばかりです。その原因は、認知能力と非認知能力とを対立させているところにあるように思います。もともと非認知能力は、認知能力があってはじめて成り立つ概念ですが、その中身の一つ一つは、昔から主体的な取り組みにとって大事だと言われてきたものばかりです。そのため、教育現場において、非認知能力にかかわる何か新しい授業をやらなければだめだという風に理解されてしまい、混乱が起こっているように思います。

私がかかわる幼児教育の世界でも、「5歳までの教育が人間の一生を左右する」というヘックマンの主張に、保護者も教育者も何をしなければいけないのかという戸惑いが見られます。そんな中、「遊び保育こそが、非認知能力を育てるための最高のアクティブ・ラーニングだ」と守旧派は勢いづいています。最近は、遊び保育という言い方に誤解が生じると考えたのか、「経験主義の教育」という表現もなされていますが、一方で系統的に学習を積み上げていくこともとても大事なことです。新しい風を好まない教育現場や研究者たちによる現状追認の姿勢によって、日本伝統の遊び保育は守られ続けていくのでしょう。いくらたくさんの事例を集めて統計をとっても、現状認識には意味があるでしょうが、そのことを踏まえて新しい試みをしなければ、教育改革など進むはずはありません。昔から、「生活単元学習」か「系統学習」かの論争がありました。2つを並べて、どちらがいいか・悪いかという不毛な論争はやめにして、子どもたちの成長に見合う適切は方法を考えるべきです。経験を土台に、いかに系統的に積み上げていくべきか。成長をありのままに受け入れる経験主義は、自然成長の力を最大限信じた方法ですが、子どもの成長には、一歩先の課題を与え続けることが大事です。一歩先の課題が何かを見つけるのはとても大変なことですが、それが「系統学習」のはずです。子どもの成長は、自然成長を待つだけでなく、「教育の力」によって引き上げていかなければなりません。

私は、遊び保育を否定するわけではありません。むしろ積極的に評価しなければならないと考えています。ただ、遊びや生活の体験をそのままにしておいたのでは、具体から抽象への橋渡しはできません。生活体験を振り返りながら、将来の学習の基礎としての「考える力」を育てるための意図的な手立ては必要です。その教育的な働きかけを、教え込みだと理解している人たちも大勢いるようです。「遊びが大事だ」ということと、「遊ばせておけば自然に身につく」ということとは意味が違います。物事に積極的に働きかけていく「遊び」は、主体的な学習の原点です。しかし、それを教科とのつながりで捉らえて、経験の振り返りを学習として組み立てていかなければなりません。その連動があってこそ、幼児期の基礎教育はしっかりできるはずなのに、遊びの部分を強調しすぎたり、振り返りの学習の部分を重視しすぎたりするように二元化してしまうのは、最初の「認知能力」か「非認知能力」かの議論と同じように不毛です。

今回改訂された「幼稚園教育要領」や「保育所保育指針」では、小学校とのつながりを踏まえた教育を考えるべきだと述べています。そのためか、幼稚園や保育園の関係者は、何をどう学ぶのかを模索しています。しかし、遊び保育中心のこれまでのカリキュラムでは、新しい発想は出てきません。挙句の果てに、「読み・書き・計算をさせるべきだ」というとんでもない発想が出てくるのです。幼児期の基礎教育は、遊び保育に象徴される「経験主義教育」が中心になるのは当然です。しかし一方で、6歳の4月から確実に教科学習は始まるのです。その基礎を幼児期のうちにしっかり身につけておくことは当然です。それには、これまでの幼稚園や保育園の生活の中では、あまりなじみがないかもしれませんが、教具を使ったデスクワークも必要なのです。意図的な教育をしようとすると、すぐに「それはお受験教育だから必要ない」と言ってしまう人たち。何も深く考えないで表面だけで判断する人たちが教育現場に多いのも事実です。思考停止の状態といえます。

しかし、お受験教育を批判しつつ、そこで何がどうなされているのかも知らないままの批判では議論になりません。幼児期の基礎教育を考える講演会で「こぐま会」の名前を出すだけで、お受験教育だからそんな教育の中身を聞く必要はないと、はなから拒絶する人たちがいるのも事実です。そうした人たちに問いかけましょう。

「お受験教育の何がいけないのですか?」

「こぐま会のKUNOメソッドの内容をご存知ですか?」

「お受験だからこそ真剣なのです。それ以上に真剣に取り組む教育がほかにありますか?」

「非認知能力」の大切さが前面に出すぎていく一方で、これまでの「認知能力」を育てる系統学習が無視されていくのは危険です。主体的な学びをどう構築するかを考えれば、認知能力も非認知能力も、ひとつの課題に取り組む中で育てていかなければなりません。

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