週刊こぐま通信
「室長のコラム」今年の入試から何を読み取るか(6)
合否判定は、どのようになされるのか
第471号 2015/2/13(Fri)
こぐま会代表 久野 泰可
こぐま会代表 久野 泰可

受験者にとって最も知りたいことは、何をどのように準備すれば合格できるのかということです。これは昔も今も変わりません。「小学校入試に関しては、紹介者がないと合格は難しい」、「試験の前にすでに入学者は決まっているのではないか」・・・といったとんでもない噂がまことしやかに流れます。しかしそれは、まったく根も葉もない噂話ではなく、ある時期そうした側面もあったことは事実です。学校によっては今もそうした噂話が聞こえてきます。「記念受験」という言葉は半ばそうした状況を、あきらめも含めて表現していますが、「でもひょっとしたら、受かるかも知れない」という淡い期待があったからこそ出てきた言葉なのでしょう。しかし、ここまで一般化した入試において、紹介者云々を言うのは時代遅れであるし、全体として実力主義であることは、間違いありません。ただ厄介なのは、実力主義イコール学力主義ととらえる保護者が多いということです。これは、明らかに今の入試の現状を知らない方々の分析ミスです。もし、学力主義で子どもを取ろうとしたら、新設校が良くやるように、ペーパーテストを40枚~50枚やればよいのです。しかし、そんな学校はどこにもありません。
以前にも書きましたが、小学校入試は、
- 教科書のない唯一の入試である
- ペーパーテストに象徴される学力試験だけでなく、行動観察・面接などが総合されて合否が決まる唯一の入試である
この問題を考える際に、一度受験者の保護者の立場を離れて考えてみてください。もし、皆さんが試験官だとしたら、どんな子どもを合格させますか。案外その答えが、学校側が持っている合否の判断基準とそんなに違わないのではないかと思います。逆に、当事者として、何としてでも合格させたいと思えば思うほど、うわさ話に引きずられ、冷静に考えてみればとんでもない間違った考え方をしていた・・・ということにもなりかねません。それは、小学校入試を「特別な教育が必要な入試」ととらえているからです。試験官といえども、同じ人間です。同じ時代に生きている人として、そんなに価値観の違う人はいないでしょうし、ましてや教育現場にいる人間ですから、私たちと同じように、子どもの教育をまともに考えているはずです。だとすれば、
- ペーパー試験の順位だけで合否を決めてしまってよいのか
- これからの学校生活で学力を積み上げていく子どもを、できあがった能力で評価するのか、それともこれから伸びていくであろう能力を見抜こうとするのか
- ペーパー試験で満点を取れば、集団活動の中での人とのかかわりなど関係ないのかどうか
- 勉強さえできれば、行動面で多少問題があるとしても目をつぶれるのかどうか
校長先生や、教頭先生とお話しする機会がある時に、決まって我々が問いかけるのは、「どんな子どもを好ましいと考えていますか」というものです。その私たちの質問に対し「バランス良く育っている子ども」であり、決して「ペーパーテストで100点を取る子」とは答えません。
ペーパー試験の成績で合否が決まっていくという上級校の合否判断が身についてしまった多くの保護者にとって、ペーパーテストで点数をたくさん取ることが入試対策だと考えるのは当然です。しかし、実際の合否判定は、ペーパーテストの点数の上から順に・・・ということになっていないのが、小学校入試の実態なのです。今年の入試結果を見てもそれはあきらかです。幼児教室が流す「点数主義」の合否情報が、あまりにも学校の考え方と違うことに違和感を覚えるのは、私だけでしょうか。行動観察においても望ましい形式を与えて点数を高く取らせるという発想の訓練では、学校側が考えている「バランス良く成長した子ども」「自立して考える子ども」とはかけ離れていくだけです。
小学校入試は、特別な訓練を必要とする入試ではありません。年齢相応の経験を積み、集団での活動に積極的に関わり、自立した思考を身につけていれば、十分対応できる試験です。ですから、「子育ての総決算」としての入試なのです。決して、毎日何十枚もペーパーをこなさないと合格できない入試ではありません。逆に、学力主義を徹底すればするほど、年相応の経験を積むことから遠ざかり、ますます小学校側が求める「バランス良く成長した子ども」像から、遠ざかっていってしまいます。小学校に子どもを送り出す側の責任として、形を教え込む間違った入試対策だけはしてはならないと思います。