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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

年中児 間違った受験対策にならないように(3)

第360号 2012/10/19(Fri)
こぐま会代表  久野 泰可

 都内の私立小学校の面接試験が始まり、どんな質問がなされたのか、少しずつ分かってきています。生徒集めが厳しくなった最近の状況を物語るように、今年も多くの学校で志願者が減少しているようです。正確な数字は入試が終了した段階で報告するつもりですが、ともかく大変な時代になった事だけは確かです。学校側は合格辞退者を出さないように、第1志望校かどうかをどのように見抜くか、その点に苦心しているようです。そのためか面接が重視され、同時に、面接の方法もいろいろ工夫されているようです。面接の終わったご家庭では、その出来具合に一喜一憂しているようですが、何が答えられたか答えられなかったかだけで評価されているのではありませんから、落胆しないで本試験に集中してください。どうしてもその学校で学びたいという気持ちがあれば、それは必ずいろいろな形で学校側に伝わるはずです。そうした気持ちが伝われば、ひとつひとつの出来具合など気にしなくても大丈夫です。

最近の子どもたちは、コミュニケーション能力がないとよく言われます。そうした問題をどう解決するか。それは、まず家庭において考え、実行することです。そのためか、最近の面接では、答えた内容に対して質問をたたみかけてきたり、母親から子どもへ、父親から子どもへと声かけをさせる場合が増えているように思います。試験官の前で演技はできませんから、普段の親子関係をそうした会話から感じとろうとしているのかもしれません。対話することがこれほど求められている時代はなかったように思います。

学校側が、過熱気味でゆがんだ入試対策の在り方をよしとしているはずはありません。学校側が「受験業界」をどのように見ているのかをしっかり把握しておく必要があります。少なくとも、今の「詰め込み・教え込み教育」をよしとしているはずはありません。それどころか、行動観察対策においてさえ、望ましいとされる「形」を教え込むことに対して、「とんでもない」と思っている学校関係者がほとんどです。この点を見抜かず、商業主義に踊らされているようでは、親の責任において失格です。子育ての一番大事な部分を他人に任せ、お金さえ出せば何でも解決してくれると考えている受験者が多いことを、ある学校の校長は嘆いていました。また同じように、受験生をたくさん抱える幼稚園の園長も嘆いていました。普通の感覚で考えておかしなことが、受験だからと言って正当化されるはずはありません。受験の渦中からちょっと外に出てみて考えた時、誰もが異常と感じる受験対策がまかり通るのは、それをよしとする大人が大勢いるからでしょう。子どもたちを受け入れる学校側が、この異常な受験教育をどのようにとらえているのか、一度冷静になって考えてみる必要があります。今年の入試が終わった段階で、この問題には再度触れたいと思いますが、学校側の考え方が伝わる文書や、学内で行われる保護者会での学校側の発言の中には、そうした異常な受験教育の結果、多様性を欠いた子どもの存在や、家庭教育のあるべき姿の欠如に対し、明らかに警告を発していると思われるものが存在します。
私自身が受験業界の当事者でありながら、こうした発言をするのは自己矛盾も甚だしいのですが、受験指導の現場に40年も身を置きながら、ゆがんだ受験教育の実態を知れば知るほど、こうした発言を繰り返さざるを得ないのです。子どもたちを守るために、そして、小学校受験が幼児期の基礎教育の正しい動機づけになるよう、「間違った受験対策」に関しては、私自身も警告を発し続けていくつもりです。

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