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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

到達目標を明確にした学習を

第341号 2012/6/1(Fri)
こぐま会代表  久野 泰可

 小学校入試の準備教育がゆがんでいく一つの理由に、「教科書がないから・・・」ということを繰り返し述べてきました。教科書がないのに、問題は存在する。この矛盾を解決しない限り受験準備の教育は、恣意的に大きく曲げられていく危険性があります。つまり、やらなくてもよい難問・奇問を、「試験に出るかもしれないから、これが解けなければだめ」という脅しにも似たセールストークで、多くのお母さんたちはさまざまな勧誘を受けることになります。「そんなに難しい問題をやる必要はありませんし、できないからと言って心配する必要はありません」・・・外部の模擬テストの結果を持って相談に見えるお母さんに、何度言ってきたことでしょう。

教科書がないということは、到達目標が明確でないということになり、そこに「受験のために」という根拠もない難しい課題が、大人の頭の中で恣意的に作られていってしまうのです。実際に出された過去問をしっかり分析し、多くの学校の問題を関連づけて眺めていくと、そこに、各領域のめざすべき学習課題がはっきりしてきます。しかし、その問題の分析すらも正確にできず、ただ過去問を並べてトレーニングしているだけの教室がほとんどです。基礎が何で、応用が何で、子どもはどのように問題を理解していくのか・・・そうした分析があってこそ系統的な指導ができるはずなのに、それがほとんどありません。だからこそ、カリキュラムも何もなく、ただ過去問のペーパーが準備されているだけなのです。これでは積み重ねの指導などできるはずはありません。我々が行っている「事物教育」や「対話教育」は、まわりくどい指導ということで敬遠され、削除されてしまうのです。しかし、子どもたちの認識能力がペーパートレーニングだけで育つはずはないのは明確です。事物に働きかけ、言語化を通して理解を定着させ、その上でペーパートレーニングすることによって、すそ野を広げていくことが必要です。

総合こども園構想によって、別な角度から「小学校受験」が注目され始めているのは、幼稚園や保育園の指導書に、あいまいなままでしか書かれていない幼児期における教育の到達目標が、「受験教育」には明確に示されているのではないかと思われているからです。しかし実際は、ほとんどの教室が過去問を何の系統性もなく、ただ並べてトレーニングしているだけで、到達目標が明確に示されているわけではありません。あるとすれば、学校側が工夫して出す問題のひとつひとつに、「入学までにわかるようにしてきてください」というメッセージが表現されているということだけです。しかし、その学校側の意図さえ明確に分析されていないのが、今のお受験業界の現状です。もし、しっかりと分析されていれば、もう少しまともな準備教育が行われているはずです。

私たちが18年間かけて作り上げてきた「ひとりでとっくん」シリーズは、今や小学校を受験される方々の教科書代わりになっていますが、この100冊の問題集は、教室で実際に使用し、子どものたちの理解度を検証しながら作ったものです。ですから、やさしいものから難しいものへと、きちんと系統性を持って並べられており、使いやすくなっているはずです。完成までに18年かかったのは、そうした現場での検証を経て作ったからに他なりません。この「ひとりでとっくん」を真似た問題集はたくさん出ていますが、そうした地道な努力もせず作り上げたものであるということは、実際に使ってみればすぐに見抜かれてしまいます。寄せ集めで問題集を作っても、そこには子どもの存在も見えないし、ましてや指導者の想いなど、何も伝わってきません。私たちは、具体的な単元別問題集という形で、それぞれの学習の到達目標を示したつもりです。だからこそ多くの学校で、この問題集をヒントに、新しい入試問題が作られてきたのです。

学習の到達目標が明確に示されてこそ、ひとつひとつの学習経験が子どもの内に定着し、「考える力」の育成に生かされていくのです。到達目標がなければ、カリキュラムも必要ありません。基礎も応用も関係ありません。ただ、過去問をトレーニングするだけです。そんな学習で子どもの思考力が育つはずはありません。こぐま会では、年少から年長までの3年間に、合計16回の発達診断テストを用意し、学習の到達目標を常に提示しながら、「考える力」の育成に力を注いできました。到達目標を明確にした学習の積み上げでこそ、合格を勝ち取ることができるのです。

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