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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

行動観察が重視される背景

第263号 2010/10/8(Fri)
こぐま会代表  久野 泰可

 都内の小学校でも願書受付が始まり、学校によってはすでに面接も始まりました。今年の出願状況はまだ全体を把握していませんが、出願人数が減る学校も出てきそうです。複数試験日を設けている学校では、志願者数によっては試験の日程が変化し、昨年までできた併願ができなくなるケースがありそうです。

ところで、来年受験を控えた年中児の皆さんの入会相談が増えています。今年はこれから受験準備を始める年中児の皆さんに正確な入試情報を持っていただこうと、8月末から5回にわたり「小学校入試を正しく理解する」セミナーを開いてきました。先日行った第4回目のセミナーでは「学習対策だけでは合格できない」と題し、行動観察が重視される背景を、さまざまな観点でお伝えしました。

学習対策だけでは合格できない
行動観察が重視される背景
1. なぜ行動観察が重視されているのか
2. 合否判定における行動観察の位置づけ
3. 行動観察の内容と予想される評価の観点
4. こぐま会の行動観察対策講座

行動観察が重視される背景にはいくつかの理由が考えられます。

  1. 社会的に問題になった「小一プロブレム」の問題も、私立といえども例外ではない
  2. 年長11月の学力はあてにならないが、遊べない子、表現できない子は、学校生活へのレディネスの欠如として無視できない。遊べない子は入学後学力も伸びないという認識が学校側にはある
  3. 学力の基礎はペーパーテストの結果だけでなく、物事に取り組む態度や問題解決能力と深く結びついている
  4. 今の子どもたちに一番欠けている「コミュニケーション能力」がどの程度身についているかをチェックしたい

こうした理由で行われている「行動観察」の意図が指導者側に正しく理解されず、ペーパーテストと同じように「できた - できない」でとらえられているため、最近では、ペーパートレーニング以上に「行動観察」対策として「形式」の教え込みが横行しています。口頭試問の答え方、お辞儀の仕方、絵の描き方、廃品物の利用の仕方・・・挙句の果て、「遊び方」までもが訓練の対象になっています。学校側が求めているのは、そうした形式ではなく、普段の生活の中でしっかりと身についたものです。母親の呼び方を普段使わない「お母様」と言いなさいと指導したり、「お名前は」と聞かれたら「はい、私の名前は○○○○です」と言わせたり・・・普段の生活の中で身に付いたものというより、試験のために訓練された形式は、10人の子どもが集まればそのこと自体が奇異に映り、すぐに解ってしまいます。訓練で心のこもらない形式を身につければ身につけるほど、学校側が求めているものとはますますかけ離れていきます。最近、自由遊びが増えてきた背景を考えてみてください。命令指示行動、課題製作等が減り、自由遊びが増えてきたことの中に、ありのままの子どもを見たいとする「学校側」の意向がはっきりと示されています。形式を身につけてくる子が多いことをある学校の校長が嘆いていました。「すぐに判るのよねー」という言葉にその想いが凝縮しています。訓練で形式を身につけてきた子の多くは、教師の目や大人の目が行き届かないとわかると豹変するということも、たくさん見てきました。本音と建前を分けて使う子どもを幼児期のうちから作ってしまってどうするのでしょう。それが入試対策といえども教育の場で行われていることが問題なのです。行動観察のための講座が入試対策のために必要だとするなら、それは集団活動を通して経験を積み重ねる場であってこそ意味があるのであり、心のこもらない「形式」を教え込む場であってはならないのです。間違った行動観察のトレーニングは、正確に情報を分析できない素人集団のなせる業です。

今回のセミナーでは、昨年行われた主要20校の行動観察の内容を1校ずつ分析し、評価の観点は何かをお伝えしました。また、合否判定における行動観察の意味付けも、具体例を示してお伝えしました。入試のすべてが「できた - できない」で判断されていると考えるところがそもそも間違いなのです。行動観察も、口頭試問も、保護者の面接も、学校側は決して「できた - できない」だけで判断しているのではありません。そのことを通して見えてくる、家庭の考え、子どもの育った背景・・・それをこそ学校側は見たいと考えているのです。ある学校の入試案内に「子育ての総決算として入試をとらえてください」と書かれていた意味をもう一度考えてみる必要がありそうです。

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