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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

教材づくりは幼児教室の命です

第149号 2008/05/16(Fri)
こぐま会代表  久野 泰可

 入試本番まで、もう半年もなくなった今、この秋受験する子どもたちは、これまでになく一番眼が輝いています。半年近くの基礎段階の学習を終え、今まで理解できなかったことが理解できるようになったことを、子ども本人も自覚し、学習意欲が高まっているからです。今までできなかった暗算ができるようになり、数の学習で積極的に手が上がるようになったMちゃん。立体図形の模写が苦手だったKちゃんは、秘密袋の中に入っている立体物を触索だけで上手に描けるようになりました。3月生まれで、設問の意味がよく理解できず戸惑っていたRちゃんも最近は一回の指示をしっかり理解しています。

現場指導を始めてから37年目になりますが、今でも子どもたちから学ぶことが多く、そのことを、カリキュラムや問題作りに生かしています。この2~3年、「入試における難問とは何か」をあらゆる角度から研究し、子どもたちがどこで間違えるのか、どのような問題の出し方が難しいのか、また今の子どもたちに何が欠けているのか・・・そんな思いで週8コマ(1コマ1時間半)の授業を担当しています。その結果、いろいろなことがわかってきました。その成果をカリキュラムに反映させ、また、家庭用の問題集作りに生かしていこうと考えています。

出題する学校側が、どこまで子どもの理解力を知り、その分析の上で問題を作成しているのかどうかわかりませんが、最近の入試問題は確かに良質なものが増えてきました。学校側も相当問題の研究に力を入れているのではないかと思います。ただ、多くの学校の問題を見ていくと、その学校独自で問題を作る力がある学校と、どこかで出された問題を参考に、後を追いかけるような形で問題を作っている学校とがあるように見受けられます。昔は、知能テストの問題が、ベースになって問題が作られていましたが、最近の問題は知能テストの問題と関係なく、幼児期のうちに身につけておきたい基本的な思考力を点検しようとしています。そうした問題をどう分析し、その対策をどうするかについては、さまざまな視点があると思いますが、こぐま会が提唱している「教科前基礎教育」という観点で分析し、対策を考えるのが一番わかりやすい方法だと思います。なぜでしょう。受験する子どもたちは、小学校から教科学習を始めます。また、問題を作成する先生方も、小学校の教科内容と子どもの学力の現状をよく知っています。算数や国語といった基本教科を受け止める「レディネス」がどれだけ備わっているかを入学前に見ようとしているのは当然です。だとするなら、教科を支える基礎はなにかを考えるのが一番の早道でしょう。現在の小学校入試は、難しいクイズを出しているわけでもなく、記憶力やスピード性だけを求めているのではありません。きちんとした出題根拠があるのです。それならば、きちんとしたカリキュラムで、考える力を育成しなくては対応できません。それが、教科前基礎教育なのです。私たちが10年以上もかけ、教室での授業を通じて作り上げた「ひとりでとっくん」シリーズの中からも、入試問題に採用されたものが多数ありますが、それは当然でしょう。教科学習の基礎をどう育成するかを考えて作った問題集です。子どもたちを受け入れる学校の先生たちが求めているものと一致しているからこそ、評価され使われているのだと思います。

私は、幼児期の基礎教育を実践する者の一人として、カリキュラムや教具教材は、幼児教室にとって命だと考えています。教科書とノートと黒板があれば教育できる小学校以降の教育と違い、幼児期の教育には、授業意図に即した教具や教材がどうしても必要です。現在の幼稚園や保育園には教科書はありません。そうであるなら、受験対策も含め、自分たちで教科書を作らなくてはなりません。子どもの発達や理解力をふまえ、カリキュラムにそって教具や教材を作るのは、幼児教育に携わる保育者の最低限の仕事です。それは、受験対策でも同じです。それを放棄し、市販の教材を使って、幼児教室を運営するなど、私には到底思いもつきません。市販の教材を使って学習するのは、母親や父親がすべきことです。高い月謝を払って幼児教室に通う理由は、授業意図に即して、家庭ではできない指導があるからこそでしょう。「こぐま会」で開発した教材が、多くの教室で大量にコピーされ、隠れて使用されていることは知っています。コピーしたものを、「うちで開発した教材です」と言って、教室に通う保護者に売っているという事実も把握しています。警告を発したほうが良いのではないかと助言してくれる方も大勢います。しかし、私は、販売しているものである以上、その利用の仕方については教育に携わる者の良心を信じたいと思っているため、悪質なもの以外は警告を発したりしてきませんでした。また、もしそのようなことが教室に通う保護者の方に分かれば、その幼児教室の権威が疑われ、生徒は集まらなくなり、自然に崩壊するだろうと考え静観してきました。

教育者の良心を信じたい・・・と書きましたが、それは、前述したように、隠れて大量にコピーしたりする方々ばかりではないということを、言いたかったからです。最近は東北地方や関西地方の民間教育機関から「教室での授業で使用したいが、使って良いかどうか」とか、「家庭用の教材として紹介したいが許可をいただけるかどうか」・・といった問い合わせがたくさん来ています。もちろん、そうした方々は、一人1冊ずつ購入され、決してコピーしたものを使ったりしていません。私は、そうした問い合わせに対し、「事物教育を前提にしないで、ペーパーだけを使うことは好ましくない」旨を伝え、教材使用については同意しています。

韓国や中国はコピーの国だなどとよく言われますが、日本はそれを上回って巧妙にコピーする国だと思っています。日本だけ例外だと思ったら大間違いです。私たちが開発した問題集や教具も巧妙にコピーされ、製品としてたくさん出回っています。そうした動きを心配する職員や友人に対し、私はいつも次のように言っています。 「消費者は何が本物で、何が偽物かを判断する眼を持っているから、最後は、オリジナルなものしか残らない。」「真似されたら、また新しい製品を出せば良いでしょう」私が子どもたちと歩んできた36年間の仕事は、そんなことで揺るがないと信じているからです。教育意図に即して、独自の教材もつくれないような幼児教育機関は、それがたとえ受験対策の準備教育であろうと、本物ではありません。教材づくりは、幼児教室の命だからです。

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