ページ内を移動するためのリンクです
MENU
ここから本文です
週刊こぐま通信
「室長のコラム」

幼小一貫教育の必要性

第121号 2007/10/05(Fri)
こぐま会代表  久野 泰可

 日本の子どもたちの学力を高め、新しい時代を担う人材を育てるために、今さまざまな教育改革が試みられています。文科省も、ゆとり教育を見直し、一度削除した学習内容を復活させたり、土曜日休暇のあり方を見直し始めたりしています。また、新しい指導要領では、「国語の力」を学習の基本に据え、論理的思考力を重視したプログラムを考えているようです。

公立の学校でも「小中一貫教育」や、「中高一貫教育」を試みており、今後その成果が少しずつ明らかになっていくはずです。また、私学においても一貫教育の強みを生かして、「6・3・3制」に変わる「4・4・4制」を模索し始めています。「いかに効率よく学習させるか」だけでなく、教科の系統性を重んじる教育方法を見出そうとしているようです。

そうした中で、「幼小一貫教育」も試みられているはずですが、まだ小中一貫や、中高一貫ほど表立った動きはありません。義務教育でない、幼稚園と保育園の教育内容を一元化し、その上で小学校とどうつなげていくかを考えなくてはなりませんから、時間がかかることだと思います。しかし、私は、いま一番必要な改革こそ、「幼小一貫教育」だと考えています。学びのはじめが、ばらばらなスタートでは、いかにその上で改革を実行しても、目標を達成することはできません。今早急にやらなくてはならないのは、スタート時点での「幼小一貫教育」の中身をどうするかという議論のはずです。それがないところで、いかに制度的な改革を行っても、問題は何も解決しません。

教科書のない日本の幼稚園や保育園と、現在の1年・2年生とをどうつなげるかという点で壁にぶつかっているのだと思います。そうした中で、「幼児のうちから足し算や引き算をやらせれば・・・」という考え方も根強くあり、小学校低学年の内容を早いうちから学ばせようと考えている人たちもいるようです。今、意図的な教育を導入しようとしている幼稚園では、業者から導入されるプログラムを何の疑いもなく使用しているようですが、そのほとんどが、今述べた小学校の内容をやさしくして・・・というものでしかないのです。それでは何の改革にもなりません。

私たちが25年以上かけて作り上げてきた『教科前基礎教育』の内容と方法こそが幼小一貫教育の中身になるべきだと考え、これまでもいろいろな場で多くの人々に主張してきましたが、不思議なことに、その主張が、韓国や中国・香港において最初に受け入れられたということは、何を意味しているのでしょうか。やはり、長年幼児期の教育に力を注いできた国であるからこそ、私たちの主張する「教科前基礎教育」の内容や方法の優秀性を認めることができたのかもしれません。

幼児期の知育を極度に嫌う風潮は、どのように形成されてきたのでしょうか。幼児期の知育を英才教育やお受験のためと捉え、内容に対して真剣に向き合うことをせずに特別視するのは、幼児教育に携わる人材を育成する教育機関に問題があるのではないかと思います。私たちは、幼児期の教育課題を知育だけに絞り込んでいるわけではありません。人間としての基礎が出来る幼児期の教育は、小学校以降の教育と違うことも十分承知しています。遊びが大事なことも良くわかっています。しかし、遊びだけでは知的発達の土台を形成することは出来ないのです。私が上海でお会いした中国の著名な学者は、「遊びも大事だけど遊びだけでは・・・」と述べ、日本の幼児教育学者は夢ばかり追わないで、もっと教育現場に目を向けるべきだと話されていましたが、私もその通りだと思います。

中味のともなわない教育改革はすべきではありません。今必要なのは、幼稚園を義務化するかどうかや、就学年齢を5歳児にしようかという議論ではなく、幼稚園や保育園での教育内容を改善し、そこでの教育を小学校教育とどうつなげていくかという議論です。小学校受験の内容を特別視することをやめ、受け入れる小学校側が何を子どもたちに求めて試験問題を考えているのかを、幼児教育に携わる人たちは考えてみるべきです。それでもなお特別な教育なのかどうか・・・・私は今の幼稚園や保育園の内容のほうこそ、特別だと思います。子どもの成長の実態を知らない大人たちが、幼児が学ぼうとする権利を勝手に奪い取っているとしたら、これこそ大問題です。私は、韓国・中国・香港等近隣諸国の幼児教育の実態を知るにつけ、日本の幼児教育のあり方をますます疑問に思うようになりました。そして20年以上前から「幼小一貫教育」を主張してきた私たちの考えに誤りはなかったと確信しています。

PAGE TOP