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週刊こぐま通信
「小・中・高 現場教師が語る幼児教育の大切さ」

vol.79「「難問」が持つ意味」

2012年2月24日(金)
学習塾 プラウダス講師 石原弘喜
 「あ、これは『~が』がついてるからシュゴだ」

 「どうして『~が』ついてると主語なの?」

 「だって、プリントでやったから」

 「じゃあ、主語ってなに?」

 「う~んと、『~が』がつくやつで、ジュツゴでないやつ」

以前、小学校入学前の生徒とこんなやりとりがありました。話を聞くと、その生徒が家庭で学習しているプリントに主語と述語の問題があったようです。一文に二カ所線が引いてあって、「~が」がついている部分は主語、他の部分は述語を示す形式の問題を何枚も解くことによって、「~が」は主語だと覚えたようです。答えは主語と述語しかないので、主語でないものが述語という認識をしていました。

主語と述語はある種のテクニカルタームです。テクニカルタームというのは具体例を包括する抽象的概念であり上位語です。いわば、さまざまな具体的な事例をまとめて整理する引き出しと言っていいでしょう。経験や学習を通じて得た知識はやがてかさばるようになります。それを一つの概念に置き換えてものごとを考えることで、さらに深く広く考えることができるようになります。

抽象的な上位概念はそういう必然性のもとに生まれたものです。その必然性を無視して「~が」がついているものが主語と記憶させるというのは、考える力を損なうものです。そもそも小学校の低学年までは体験を通じてたくさんの具体例に触れる時期です。たくさんの引き出しがついた豪華な収納棚は必要がありません。引き出しのない大雑把な入れ物に、片っ端から放り込むだけで十分です。

その知識や具体例が雑然としているからといって、大人が先回りして整理してやることはありません。雑多な具体例は必然的にそれをまとめあげる抽象的な概念や言葉を欲していきます。その状態になるまで放っておいてください。具体例も十分に獲得していない状態で、抽象的なテクニカルタームを教えこませても、先の子どものように形だけで意味を追うだけで、本質的な理解には遠く及びません。

テクニカルタームを扱う問題を解いている子どもを見て安心するのは親です。難しい問題を先取りで学習させたいというニーズが行き着く先には、理解できていようがいまいが「問題が解けていれば安心」という大人のエゴが溢れています。大人の目線で作られた大人が安心するための問題。小学校低学年までの先取りの難問は、単に先の学年の問題を薄めているに過ぎません。良問からは程遠いものです。

このような先取りの難問を解かせている限り、体験を通じて具体例を集めてきた子どもたちにいずれ「逆転」されてしまいます。子どもには時期に応じた学習方法があるということを忘れないでください。大人が選んだ難問を機械的に解かせることは、長い目で見てマイナスになることはあっても、プラスになることはありません。

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