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週刊こぐま通信
「小・中・高 現場教師が語る幼児教育の大切さ」

vol.73「リーダーと学力」

2011年11月25日(金)
学習塾 プラウダス講師 石原弘喜
 どうすればリーダーになれるか。それは私が生徒を指導する時の基本的な教育スタンスです。それは相手が幼児であれ、中学受験生であれ、大学受験生であれ、または社会人であっても変わりません。授業も受験の合否もそのための方法のひとつとして捉えています。

「どうすればリーダーになれるか」というのは、言い換えれば「リーダー型の思考ができるか」ということです。これは必ずしも将来的にリーダーとなって組織を統率することを意味するわけではありません。リーダー型の思考ができる人間が集まっている組織やチームは強い力を発揮します。それは同時に個の力を最大限に引き出す場にもなります。

リーダー型の思考に必要なのは他者への配慮です。クラスという単位の集団の中で、自分はどのように振る舞い、どのような発言をするべきなのか。そういった視点を持つことはとても大切です。授業中に授業の内容と無関係なことを話す生徒に対しては、その話を持ち出した理由を聞くようにしています。なぜ授業の流れを止めて、自分の話をしようとしたのか。それによって迷惑を被るのは誰か。そのことで失われたものは何か。

勉強ができればいい。有名校に合格すればいい。保護者や教え手側にそれを免罪符にするような教育風土があるとすれば、改めて考え直す必要があります。多くの生徒は二十代の前半で学校制度から抜け出します。学校的な枠組みの中で庇護され、成績がよければ多少のことは目をつぶってもらった時代が終わったあとで、どんなことが待ち受けているのか。保護者も教え手もそれを知らないわけではないでしょう。

少しでも有利にという気持ちは十分理解できます。しかし、その有利さと引き替えに、勉強ができることが一番であるという価値観を子どもに植え付けるのは好ましいことではありません。人間には成長に応じて壁が目の前に立ちはだかります。学校制度を抜けて社会に出れば、それまで経験したことのない高さの壁が立ちはだかります。まして、これだけの乱世にあっては、その壁もひときわ高くなります。

これからの壁を乗り越えていくには、自分だけが良ければいいという壁を乗り越えていくことから始まります。そのために常に他者を考え、配慮し、感謝するような人間でなくてはなりません。リーダー型の思考とはそういうことです。勉強をその下位概念として位置づける人間が、結果として勉強ができるようになります。

人間としての個は全体があってこその個です。全体があってはじめて個の力は引き出されます。全体が劣化してしまえば、自ずと個も劣化していきます。それは学力についても同じです。いくら各々の個が勉強という側面で優秀であったとしても、全体を見渡し、全体を考えられるような個でなければ全体も個も機能しません。そういった視点のない学力は学校制度の中で通用するものであって、その枠組みから外に出てしまえば脆弱で頼りない知識に過ぎないのです。常に全体を見渡せるリーダー型の思考こそ、本当の意味での学力であると感じています。

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