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週刊こぐま通信
「小・中・高 現場教師が語る幼児教育の大切さ」

vol.71「角度って何?」

2011年11月4日(金)
こぐま会
幼小一貫ひまわりクラブ算数担当
久野雅弘
 日常生活の中で、大きさ、長さ、重さ、温度、濃度などはある程度体験することができますが、「角度」はなかなか触れる機会がありません。

授業の冒頭で、2台の角度の違う滑り台の絵を見せて「どちらが早く滑れるか」聞いてみたところ、大半の生徒は答えられました。しかし、その理由を聞いてみると「だって高いから」「スピードが出るから」「けど、汚れてたらこっちの方が早いかもよ」など、「角度が急だから」といった理由を言える生徒はほとんどいませんでした。雪国の子どもであればスキーなどで傾斜に触れることがあるので、もう少し角度についての認識があるかもしれませんが、東京の子どもにとっては「角度」とは非日常の「量」なのだと思います。

しかし、日常であまり体験していない角度についても、きちんと理解しスイスイ問題を解いてしまう子どもがいることも事実のようです。今回はその授業について触れたいと思います。

まずは、「直角が90度であること」を分度器で確かめながら基本的な使い方を説明したのち、以下の問題を考えさせました。

例題
この問題をやってみると、以下のような反応が見られます。

a. 分度器の構造を理解できず、正確に置くことができない。
b. 分度器は扱える(しっかり置くことができる)が、反対の目盛を読んでしまう。
c. 正確に答えることができる。

a.の子どもは、きちんと話を聞いていなかったということも考えられますが、それ以外の要因として、そもそも角度がなんなのか十分な理解ができていない、物を測る時に「0」という基準を捉えていない(幼児期に行った棒の長さ比べで端を揃える意識と同じ)、という点が考えられます。
b.の子どもは、角度をある程度認識でき、分度器の使い方も理解しているが、自分が測ろうとしている対象(聞かれている角度)を見失ってしまったり、分度器の目盛に「支配」されてしまっているということが考えられます。
逆に、c.の子どもは、角度を理解し、測ろうとしている対象を明確に意識し、分度器という道具を使いこなしている、と言えます。

私がもっとも驚いたのが、(3)の問題のときのことです。とりあえず何も教えず解かせてみると「ここまでで180度だから・・・」「(分度器を逆さにして)ここが30度だから・・・」と言いながら回答を導きだす生徒が数人いました。分度器の使い方や角度が何なのかを子どもに理解させるのはとても難しいぞ・・・、と思っていたらそんな光景が飛び込んできたという印象です。同時に、そうした発言をしたり、貪欲に分度器を使いこなそうとしている子どもが、これまでの学習で「出来ていた子」と必ずしも一致しないという事実にも驚きました。

「角度」というこれまであまり生活場面に登場してこなかったであろう課題について、スムーズに入り込める子とそうでない子がいる、その違いはいったい何なのでしょうか?

簡単に言ってしまえば「(感覚的に)何となくわかる子どもがいる」となります。

こぐま会のばらクラスで角度に関係してると思われる課題としては、「観覧者」や「ケーキの等分」などがありますが、それらが出来ていたから角度もできるとは断言できません。が出来たから◎◎ができるという訳ではないと言うか、ここは指導者として大変歯痒いのですが、恐らく、幼児期のすべての学習で培われた思考力の上に、そうした「感覚」が生まれてくるのだと思います。今回の場合であれば、未測量の量の比較の学習土台であることは間違いないのですが、図形や数、位置表象など、それ以外のすべての領域で培われた思考力があって初めて「感覚」となるのだと、漠然とそう感じています。

また日常生活での物の見方や考え方も大きく関わっていると思います。

例えば、缶ジュースのタブを開けるとき、幼児期に大人と対話しながら失敗を繰り返し少しづつ上手に開けられるようになった子どもと、小学校に入って周りの子どもに影響されるまで大人に開けてもらっていた子どもとでは、タブの構造、力の入れるポイントなどの理解力や洞察力が違ってきます。缶ジュースのタブは、誰でも開けられるようになります。その「結果」ではなく、そこに至るまでの「過程」の違いが「感覚」を養うのだと思います。同時に、子どもが自ら考える場面はある程度大人が保証してあげなければなりません。少なくとも、「大人の都合」が優先された環境で育った子ども(この場合だと、子どもが缶ジュースを開けるのは危険だし時間がかかるから大人が開けてしまうなど)は、そうした「学ぶ場」にさえ立てなくなってしまうのです。

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