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週刊こぐま通信
「小・中・高 現場教師が語る幼児教育の大切さ」

vol.67「算数を得意にするマクロ環境 ~特別番外編~『和の優位性』」

2011年10月7日(金)
こぐま会小学部長 渋谷 充
 今回は文章題が解けない一要素として数概念に関するマクロ環境を考えたいと思います。

- 和の優位性は教育現場でも感じる -

小さな子どもは、ものが減ることより増えることのほうがスムーズに理解できます。指導者の立場としてさまざまな教育方法を行いますが、カウントアップの数唱ほど導入の感覚がよいものはないでしょう。その動向は、あたかも根源的に人間に備わる能力かのように概念導入が進みます。これが生命の神秘なのか、はたまた(※1)エントロピー増大の法則の人間における様相の一側面を観察しているのかはさておき、量が多いことや大きいことには(より正確に言えばそれらの変化に対し)こどもが無償の感情を示しやすいという経験則があります。ただし、アラビア数字自体に何の価値もありません。ここで大切なのはカウントするときに具体物を伴うことです。ただの暗唱では、「1,2,3,4・・・」という数字に量の概念を付帯させることができないからです。

また、いくら無償に近い喜びとはいえ、量の概念を理解するのには子どもを取り巻く環境が非常に重要な役割を果たします。とにかく第1段階としては、基準からの増方向をほぼ絶対的な価値(絶対はありえないがそのように感じるような)として理解してもらうことです。生まれてから唯一ともいえる、この増方向に対し子どもが感じている価値観を大人が守ってあげることはあっても、邪魔しないことです。単純かつやや乱暴に言い換えれば、多いほうがよく、大きいほうがよいという状態にバランスを置くことです。

(※2)例えば、おかしは1個もらうより2個もらうほうがうれしいとか、貯金がたまっていくことに喜びを感じたり、小さい風船より大きい風船がいいというような他愛もない感情経験です。この状態を経ずして次の数概念への発展はなかなか難しいものになります。「したきりすずめ」のおばあさんのように、大きなつづらから化け物が出てくるという論理は、増方向の準絶対的価値を理解することを経由した子どもにこそ意味のある発展概念になります。小さいものにも福はあるし、大きいからといってよいわけではない、という論理の芽生えが始まります。一方でこの方向が定着する前段階では、悪者にただ罰が当たっただけになり、悪いことばかりしていると1/2の確率をはずすぐらい引きの悪い人になってしまうという、自然の摂理からかけ離れた論理になり、その後の自然生活の中での発展を期待できません。(それでもひとつの戒めにはなると思いますが、あくまでも数概念の観点から・・・)。

少し算数指導について具体的な話をしたいと思います。算数の勉強で、おつりを算出したり時間(算数では時刻と時刻の間の長さをさします。)を算出したりするときの方法はひき算(減法)を使います。この指導方法はあながち間違いではありませんが、子どもたちがそれ以前に身に着けていなければならないスキルがあります。まず算数として習う前からおつりや時間を算出できるかどうかです。かつその算出方法がカウントアップによって行われているかどうかです。簡単な例でいえば「830円のものを買って1000円出したときのおつりは、830円にあと170円足すと1000円になるからおつりは170円。(70円足すと900円だからあと100円合わせて1000円のように細切れに考える子どももいます。)」や「現在2時40分。大好きなポケモンのテレビは5時に始まる。現在の時刻に20分足すと3時だからさらに2時間足して5時になる。つまりあと2時間20分で楽しみな時間が来る。」というような感じです。この状態が、算数スキルとして減法による算出方法を習った時に「なるほどそんな便利な方法があるのか」という感動につながり、その後の発展につながります。

減法が加法の相対的存在として定義づけられているのは、殊に教育現場では非常に納得がいきます。差の本質的理解はかなり高度なものであるので、お子さまが何年生になっているとしても、現在の状況がしっかりとカウントアップが定着してのものなのかどうか、念のためチェックは必要だと思います。そのとき時間計算などはその子の数思考の一つの基準になるのでぜひ試してほしいと思います(高学年であれば「今からあさっての3時までは何時間ある?」のように)。差の概念については、また機会があるときに議論するとして今回は保護者の方々にはぜひこの準絶対的価値観の存在を確認していただく機会になればと思います。

最後に、そんな私は手前味噌ではありますが、運よく算数で何かを習うたびに感動していました。習うたびに日常で疑問に感じていたことに対し実践していたと思います。昔私の母親が次の日の朝のタイマーをセットするたびに指折り数えるので、いらいらして毎度答えを言ってあげたのを記憶しています。
「(現在夜10時で朝6時にタイマーだとすると、午後スタートの24時制で)18-10で8時間!というか、何度もアナログ時計を見れば形的に8時間!」
今考えると毎回指折り数えるのもおかしな話ですが、完全に母親より優位に立っていると思っていました。絶対的なマクロ環境とは言いませんが、母親が子どもに対し一歩引き、間接的に教育にかかわる状況を演じるというのも大切な算数を得意にするマクロ環境だと考えさせられます。

※1生まれたての人間の思考を低熱源、万物の刺激を高熱源だとして、ある種思考の閉じた系と考えて、直感的にエントロピー増大の法則という言葉を使いましたがやはり人間の思考が論理の穴となり、いまいちしっくりきません。いろんな場面でエントロピー増大の法則を使っているのを目にしますが、やっぱり熱力学の世界で使うのが一番良いと思います。
※2現実の子育ての現場では、ただ単に物を与え続けるのはよくないのが当たり前ですし、喜びという感情も悲しさや悔しさという感情の相対的存在である限り、それ相応の感情抑制を行わなければいけません。お菓子は食べ過ぎると太りますし、大きい風船をもらったところで持ち運びに困ります。しかし、そのような大人の先回りした定理を過度におしつけることが教育の中心にしてしまい、マイナスバランスをしてしまっているケースが多いようです。

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