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週刊こぐま通信
「小・中・高 現場教師が語る幼児教育の大切さ」

vol.34「小中高の授業と幼児教育のつながり~小6国語の授業から~」

2010年11月26日(金)
学習塾 プラウダス講師 石原弘喜
 定点観測と呼ばれる観測方法があります。同じ場所(定点)からある一定の視点で継続的に観察を行い、以前のものと比較して差異を分析する方法です。気象観測などの自然現象が主でしたが、現在はマーケティングなどでも活用されているようです。

私はこの定点観測の視点を授業に取り入れています。わかりやすく「教える」だけであれば、親や学生も「教える」ことはできます。しかし、定点観測による分析がないために、数少ない自分の体験や思い込みに基づいた指導になりがちです。結果として、子どもの現状を正確に把握できないまま、自分のやり方を押し付けている場合が少なくありません。

「教える」ことは膨大な定点観測による分析データの蓄積が土台にあります。授業として生徒に見せる部分は氷山の一角に過ぎません。選択する言葉・振る舞い・指導のひとつひとつが長い年月に蓄積された分析に支えられています。その海面下にある巨大な氷塊が授業に厚みを持たせるのです。

先日、中学受験生の国語の授業で「せつない」という言葉の意味が話題に上りました。その意味がわかるか尋ねたところ、クラスの半数以上が手を挙げました。それは意外な結果でした。確かに例年に比べるとわかっている生徒の割合が格段に高いのですが、ひとりひとりの国語力からすれば、全員が手を挙げてもおかしくありませんでした。それほど今年の小6は国語力の源泉である情緒が豊かで、実際に難関中学の過去問題の正答率も高かったのです。私は「せつない」という言葉について次のように話しました。


「みんなは4歳くらいまで、とっても自然がきれいなところで生まれて育ったんだ。みんなはぼんやりとしかその記憶はない。でも、青い空やきれいな花がたくさんあって、いつも外で走りまわっていたことはなんとなく覚えてる。近くに住んでいた同じくらいの子といつも一緒に遊んでいた。毎日がとっても楽しかった。

 家は一軒屋で、あたりの家はまばら。お父さんとお母さんとみんなが三人で暮らしていた。みんなはその家のことを覚えてる。でも、なんとなく。家の中は茶色っぽかったなとか、庭で犬を飼っていたなとか、周りは田んぼばっかりだったなとかそのくらい。とんぼとかカエルを初めてつかまえたのもその時だってことは覚えてる。

 でも、そこから遠い街に引越しをして、幼稚園に入って、それから小学校に入って、毎日を過ごして時間が経った。みんなはだんだん成長して、その家のことは忘れてしまった。でも、時々昔の話になると、その家の話をお父さんやお母さんが話してくれる。アルバムの写真を見たら、当時のその家の写真がたくさんあった。自分のぼんやりとした思い出がはっきりしてきて、一緒に遊んでた子の名前も思い出した。すごく懐かしい気持ちが湧いてきて、いつか自分が生まれたその家に行ってみたいと思うようになった。

 小6の夏休みの前、みんなは両親から夏休みの旅行の話をされるんだ。みんなが生まれたあの街に行って、その家を見てみようって。みんなはその旅行が待ち遠しくて、いよいよその日になる。電車を乗り継いで、それからバスに乗ってようやく着いた。胸がドキドキする。そしていよいよその場所に着いたんだ。

 そしたら、そこは写真と全然違う風景になっていた。田んぼは埋め立てられ、住宅がたくさんたっていた。みんなが生まれた家は跡形もなく消えていて、代わりに別の大きい家が建っていた・・・」


クラス全体が真剣な眼差しで私を見ていました。私は続けました。

「それは、『かなしい』のかな?」

「いや、ちがうと思います」

ひとりの男の子がそう言うと、他の生徒もその言葉に同調するように首を振りました。

「『さびしい』のかな?」

「似てるけど、でも、ちょっとちがう気がする・・・」

別の男の子が言い終わるか終わらないうちに、また別の生徒が口を開きました。

「せつない・・・」

「そうか、この気持ちが『せつない』ということなんだ!」

その生徒の感嘆に重ねるように、クラス全体が頷いていました。


幼児期に育まれる国語力の源泉たる情緒。それは海面下の氷塊と同じです。加速度的な成長を見せる幼児期は、その氷塊もまた加速度的に大きくなる時期です。見方を変えれば、幼児期を除いた時期では大きくなりにくいとも言えます。海面上の「氷山の一角」は、氷塊の一部が見えているに過ぎません。氷塊という実体があれば、見えていない部分を見えるようにすることはできます。「せつない」という情緒があれば、それを「せつない」という言葉と結びつけることができるように。

「教える」ことと「教えられる」ことは、共に海面下の氷塊の部分で共鳴します。海面上の「目に見える部分」で「教える」ことと「教えられる」ことのやりとりが続いても、「目に見えない」氷塊が大きくなるわけではありません。幼児期に最も大きくなる海面下の「目に見えない」氷塊を、中学・高校・大学受験においては「目に見える部分」に引き上げることになります。

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