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週刊こぐま通信
「小・中・高 現場教師が語る幼児教育の大切さ」

vol.32「小中高の授業と幼児教育のつながり~小2国語の授業から~」

2010年11月12日(金)
学習塾 プラウダス講師 石原弘喜
 認識の学年――。小2という学年はそう表現できるかもしれません。もちろん個人差はありますが、小2はそれまでぼんやりととらえていた日常の出来事に意味を見出しはじめます。身のまわりに「あった」「起こった」ことを事実として見過ごしていた小1までとは違い、その事実に立ち止まろうとする学年です。

これは慣用句の授業をするとよくわかります。私は小学1年生から慣用句やことわざを授業に取り入れていますが、最も生き生きと反応するのが小2の学年です。つい先日は、次のような慣用句を授業で扱いました。

「うでをあげる」
「『うでをあげる』って前にやった。でも忘れた・・・」

「ははは。何でやったの?」

「なんかのプリント」

「じゃあね、考えてみようよ。あのね、ここでいう『うで』は本当の腕のことじゃないよ。『うでをあげる』は本当にただ腕を上にあげることを意味するんじゃなくて、別の意味を表してるんだ。それが慣用句って言うんだよ」

「じゃあ、『あげる』も上にあげるってことじゃないの?」

「そうだよ。別の意味になるんだ。『うで』も『あげる』も別の意味で使われるんだよ。でも、別の意味っていっても全然別の意味じゃない。『うで』に関係があることなんだ。君は『うで』で一番何をする?」

「バット振ったり、ボール投げたりする!」

「君は野球チームに入ってたもんね。そうそう、それが『うで』」

「ん?バット振ることが『あがる』?『あがる』って階段あがるとか・・・?階段あがる・・・?上に行く・・・?成績があがるも『あがる』・・・」


他の生徒も一緒になって自分たちが知っている『うで』と『あがる』について、その意味呟きました。やがて、ある生徒がガッツポーズをして立ち上がりました。


「わかった!!『うでがあがる』ってうまくなることだ!野球するのもうでだし、テニスするのもうでだし、釣りするのもうでだもん!『あがる』って階段のぼって上にいくことだから、上手になるってことでしょ?」

「そのとおり!よく気がついたね。普段つかう言葉に別の意味を持たせることで、その別の意味が生き生きとして伝わるんだ」

「うん、『うまくなる』っていうより『うでがあがる』って言う方がなんかわかるし、なんかカッコいい!」

「でしょ(笑)?」


これは子どもの中にじっと息を潜めていた体験が言葉と結びついて表に出てきた典型的な例です。幼児期に蓄積した体験がひとつの慣用句を橋渡しとして言葉と結びついたのです。言葉は体験から離れることはできません。その体験を身近な言葉とつなげ、次第にその距離を広げていくことで、子どもは国語力の土台を固めていきます。


幼児期はこうした体験を積み重ねる時期です。日常に根ざした体験の中から、自分と日常につながりがあるのだということを気づかせることが大切です。その気づきこそ幼児教育であり、その気づきが更に体験を積み重ねることで認識へと変わっていきます。その気づきを持っている生徒と持っていない生徒の差は容易に埋めがたい差となって現場に横たわっています。


これからは幼児教育が教育の中心となっていきます。その時にはこれまでの小中高の学習がそうであったようにさまざまな方法論が現われるでしょう。幼児英才教育がもてはやされないとも限りません。たとえ一時「英才で優れた」幼児期であったとしても、それから小学生や中学生や高校生となった時に、その一時と同じである保証はどこにもありません。むしろ、4歳から大学受験までを教えている私の目には、その生徒の姿が望ましいものには映らないのです。


日本の幼児教育がその流れに向かうことを止め、こぐま会のような確かな幼児教育をスタンダードとして広める。私の今の目標はそこにあります。

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