週刊こぐま通信
「小・中・高 現場教師が語る幼児教育の大切さ」vol.31「音としての言葉を大切に」
2010年11月5日(金)
こぐま会教務部長
幼小一貫ひまわりクラブ国語担当
山下淳二
福音館書店から出ている『母の友』の2010年11月号では、「ことばとからだを結ぶうた」という特集を組んでいました。長谷川摂子(絵本作家)と別役実(劇作家)と小池昌代(詩人)の三人による鼎談はとても興味深いものでした。こぐま会教務部長
幼小一貫ひまわりクラブ国語担当
山下淳二
・・・ただ、最近その感覚がね、子ども達の中にもなくなってきた気がするの。ぼくも音としてのことばというものを非常に豊かに感じていたし、芝居はとくに音としてのことばで、子ども達が体感するのにも非常にいいなと思うんですけど、でも最近の子ども達がどうも、ことばを文字として吸収しているような、音がそのまま音として伝わらない、体感できていない感じがあるんですよね。ぼくら劇作家も、脚本を音で書こう、音で書こう、としているんですけど、つい油断すると、文字で書いていますね。次の朝読んでみると、「ああ、文字で書いている」と気がつくんです。そういうときには、宮沢賢治とか中原中也とか、ああいう擬声語の天才の作品を何回か読むと、少し音としての言葉の感覚が戻ってくる。いったん消毒しないと、どうしても文字で書いちゃうから。(別役実)
言葉を音よりも文字(意味)で捉えてしまうという傾向があることは何となくわかるような気がしますが、毎日幼い子どもと接しているとそうした感覚がなくなってきているとはあまり思えないのです。むしろ、大人の方が早い時期から文字の学習や意味の学習を進めてしまうために、そうした音としての言葉の感覚が弱くなっているように感じます。
ゆりクラス(年中児)では10月に詩の暗唱の課題として「マザー・グース」の一篇を使いました。
おとこのこって なんでできてる?
おとこのこって なんでできてる?
かえるに かたつむりに
こいぬのしっぽ
そんなもんでできてるよ
おんなのこって なんでできてる?
おんなのこって なんでできてる?
おさとうと スパイスと
すてきななにもかも
そんなもんでできてるよ
おとこのこって なんでできてる?
かえるに かたつむりに
こいぬのしっぽ
そんなもんでできてるよ
おんなのこって なんでできてる?
おんなのこって なんでできてる?
おさとうと スパイスと
すてきななにもかも
そんなもんでできてるよ
『マザー・グースのうた』より 「おとこのこって なんでできてる?」(谷川俊太郎 訳)
毎回2チームに分かれて掛け合いで暗唱していくのですが、みんな元気よく楽しそうにやってくれます。今年のクラスは幼い男の子が3人もいるので、ちゃんとやれるのかなと心配していましたが、いつもとは違った反応がありました。口移しで伝える前に谷川俊太郎の朗読のテープを聞かせるのですが、いつもはみんな神妙に聞いているのに、今年は3人の男の子が「かえるに かたつむりに こいぬのしっぽ」というところでクスクス笑い始めたのです。女の子が笑うのはよくありましたが、男の子は大抵ブスッとしていることが多かったのです。男の子が、蛙やカタツムリや子犬のしっぽでできているなんてカッコ悪いですからね。なのに、3人の男の子はどうしてクスクス笑ったのか? もしかしたら、男の子はもっと違ったことに反応したのではないのか? 「かえる」「かたつむり」「こいぬ」と全てカ行の音で始まっていることが耳に心地よかったのではないだろうか? 「かきくけこ」という音は、やっぱり固い感じがするし、力強い感じもします。<おとこのこ>の本質を意味ではなくて、音の感じで表わしているのです。そのように考えると女の子の方も理解できます。「おさとうと スパイスと すてきななにもかも」、全てサ行の音で成り立っています。「サシスセソ」という音は、とても優しいし、何か新鮮な感じがします。やっぱり、<おんなのこ>ですよね。英語の詩を訳しただけなのに、どうしてこんなことが可能になったのか、不思議な感じがします。
授業では、この後2人ずつ組になって暗唱をやってみましたが、みんなとても上手にできました。3人の男の子も照れくさがりながらも元気よくうたっていました。言葉の意味なんて深く考えないから、かえって上手にできたのかもしれません。2週間後、今度は魔法使いごっこで「呪文を唱えて魔法をかける」ということをやりました。魔女に変装して、次のような魔法をかけるのですが、このクラスの子はリズムよく呪文を唱えるだけでなく、蛙やお化けの真似も少しも恥ずかしがることなくとても上手にやっていました。<ことば>のリズムに身体が無意識に反応して動いていたんだと思います。
ぐりどん ぐりどん ねこになれ!
エコエコ アザラク エコエコ アザラク おばけになれ!
ここ2年間ぐらい、かがくのともの『あーと いってよ あー』(小野寺悦子)という絵本を使って、声を出すことをよく行っていますが、みんなとても楽しそうにやっています。ただ、「あ、あ、あ」とか「あーあーあー」とか言うだけですが、文字で書くと同じでも声に出してみるといろんな意味をもった「あー」が生まれます。おかあさんが怒ったときの「あー」、ミルクをこぼしちゃったときの「あー」、ケーキを食べたあとの「あー、おいしかった」の「あー」。みんな、とても上手に声を出してくれます。言葉の意味を学習する前に、こうした音としての言葉を身体で覚えることが大切だと思います。鼎談は、次の言葉で結ばれています。
・・・読むというのは、本来は声に出すことであって、ことばは音声である。私たちはもう一度そこに立ち戻ってみなくてはいけないと思います。(長谷川摂子)