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週刊こぐま通信
「小・中・高 現場教師が語る幼児教育の大切さ」

vol.30「小中高の授業と幼児教育のつながり~小1国語の授業から~」

2010年10月29日(金)
学習塾 プラウダス講師 石原弘喜
 意外に思われるかもしれませんが、小学1年生で国語力の差が表れるのは文章題ではありません。もちろん、日頃から本に馴れ親しんでいる子どもは活字に慣れているために、そうでない子どもよりもすらすら文章を読むことができます。しかし、それが必ずしも後の国語力の高さを保証するわけではありません。

小1の時にはたどたどしく活字をたどっていた子どもが、学年が上がるにつれて国語が得意になった例は枚挙にいとまがありません。東大や京大に合格した生徒もそうです。彼らもみな、小学校低学年から読書習慣を身につけていたわけではないのです。

それでは小1で国語力の差が表れるのは何でしょうか。実はそれは漢字なのです。とは言っても、たくさんの漢字を書けるとか、習っていない漢字を読めることとは少し違います。新しい漢字を習おうとする時に見せる知的好奇心の在り様。それが国語力として表現されるのです。

以前、小1の授業で「学校」という漢字を新しく教える時に次のようなやりとりがありました。

「学校(がっこう)」
「あ、『学』の中に子どもがいる!どうして?子どもは学校にいかないといけないから?」

「うん、そうだよ。でもね、これは『がっこう』の『がっ』って読むけれど、おくりがなの『ぶ』をつけると『まなぶ』と読むんだよ。『まなぶ』のは子どもだけじゃなくて、大人もたくさん学ぶんだ」

「大人の学校みたいなところで?」

「学ぶのは学校じゃなくてもできるんだよ。いろんなことを知るのが学ぶということだから、本を読んだり、遊んでいてもいろんなことを学べるんだよ」

「じゃあ、学校でも授業だけじゃなくて、お友だちと遊んでいても学べるんだ!」

「そうなんだよ」


そんな会話をしながら楽しそうに「学」を何度も書いていました。その時も「みっつ点があって・・・」「なんかカタカナの『ワ』に似てるなあ」「子ってなんではねるのかなあ?」そんな呟きと共にわくわくした様子で取り組んでいました。

小1生にとって漢字は新しい言葉です。ひらがなで把握していた言葉が、別の形や意味を持って展開します。それは子どもの知的好奇心を刺激するのに十分な素材です。「学校」の「校」も「木」という漢字に気付くことで、なぜ「木」を使うのかという疑問が湧き上がります。そこから「木」を使う漢字には「木」がついて、それは「ヘン」と呼ばれることに気付きます。すると、「学校はコンクリートなのにどうして『木』がつくの?」と質問に続くのです。その広がりが国語力の源泉として、上位の国語力を支えていくのです。

これまでのコラムで述べてきたように、国語力の源泉は知的好奇心と情緒です。言い換えれば、この二つは国語力の土台であり、この上に読書や語彙を増やすことで強固な骨組みが建てられます。国語の解法テクニックというのは、子どもが気付いていない解き方の視点を耳障りのいい表現でくるんだものです。知的好奇心と情緒に衝き動かされて獲得した雑然としたもの。それを整理して試験の設問に対応する力を与えるものです。

いくら先取り学習で漢字を書けたり読めたりしても、機械的に暗記しているだけではやがてほころびが表れます。漢字を日常に根ざした知的好奇心でとらえることで、本当の意味で漢字が自分のものになります。正解と不正解にしか興味がなく、与えられたものを一方的に暗記していくだけでは、漢字は非日常に追いやられることになります。日常の中に知的好奇心を根付かせてこそ、漢字という言葉が自分の情緒によって定着して読解力へと広がっていくのです。

この国語力の源泉ともいうべき知的好奇心と情緒は幼児期に萌芽します。知的好奇心と情緒を余すところなく引き出すこと。それが幼児教育における国語教育であり、幼児期の教育がいかに重要であるかを物語っている一例と言えます。

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