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週刊こぐま通信
「小・中・高 現場教師が語る幼児教育の大切さ」

vol.22「なぜ一貫教育が必要なのか」

2010年9月3日(金)
学習塾 プラウダス講師 石原弘喜
 42.195キロのフルマラソン。その長い距離を選手が走り抜くためにはコーチの存在が欠かせません。コーチは選手の体調だけでなくメンタル面にも気を配りながら、選手に合った日々の練習メニューを作成します。選手の個性や資質を把握することがコーチには求められます。

一方、コーチはマラソンコース全体やマラソン競技そのものにも精通していなければなりません。全体を把握しているからこそ、選手の状態やコンディションに対して的確な指示を出すことができます。42.195キロを走る上で必然的に生じる選手の状態変化を知り尽くしていなければ、不用意に選手を焦らせることにもなりかねません。

もしかしたら10キロ地点の選手のタイムにコーチは顔を曇らせることもあるでしょう。傍目からは快走に見えても、42.195キロの長さやコースを知り尽くしているコーチにとってはペースが速過ぎると感じるからです。その逆に、周囲がペースの遅さにやきもきしても、そのコースに相応しいタイムであると判断したならば、コーチは内心微笑んでいるはずです。


「テストで必ず漢字をひとつかふたつ間違うので、何か家で特訓させた方がいいでしょうか」
「国語の説明文を完璧にしたいので、別に問題集を買って勉強させた方がいいでしょうか」
「文章題で満点がとれることがほとんどないので困ります」


親の不安は千差万別です。不安は必ずしも悪いわけではありませんが、行き過ぎた不安は「今」の時点での「完成形」を追い求めてしまいます。その「完成形」とは観念としての「小さな大人」であり、本来それは子どもとして実在しない姿です。その結果、「小さな大人」という観念の存在に子どもを作りこみ、考える力を無視した「結果」ばかりを植え付けていくことになるのです。

教え手たる「コーチ」もまた、42.195キロの「途中の数キロ」しか知らないために、親の不安を煽るように「小さな大人」という観念の存在を理想として親に示します。42.195キロをトータルで見た上でその区間の意味や意義を判断すべきところを、「途中の数キロ」があたかもコースの全てであるかのように捉えて、親と子どもに「完成形」を強いるのです。その「完成形」は親の満足を完成させるカタチに過ぎません。


「今、小学校入学前なのですが、小2までの計算はマスターしています」
「子どもは小1ですが、小3の国語の問題集は一通り終わらせました」


親は満足気にそう語るのですが、実際にその子どもの学力を見てみると、「結果」ばかりを教え込まれたケースが目に付きます。その学力は二次元というペーパーの世界だけで完結しており、本当に重要な三次元の体験が抜け落ちています。親も教え手も「その区間」で考えられる最高の「速さ」を求め、見かけの「結果」だけを教え込み、子どもの方はそれを反射的に記憶している場合が多いのです。

「結果」だけを教え込む教育は、子どもの未来を著しく狭めます。教え手は「42.195キロ」を見渡せる広い視野と教育そのものに対する深い見識が必要です。今こそ子どもの成長をまたぐ数学年を一貫して指導できる教え手の存在が求められています。特に学力の基礎が形成される幼児と小学校の一貫教育は急を要します。幼小一貫教育が浸透することによって、子どもを無意味な「速さ」だけの学習から解放し、体験と経験を重視した本来の学習に回帰する大きなきっかけになるはずだからです。

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