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週刊こぐま通信
「小・中・高 現場教師が語る幼児教育の大切さ」

vol.8「学力を前に動かす「知的好奇心」」


2010年5月21日(金)
プラウダス講師 石原弘喜
何に対しても興味を示す子どもがいます。彼らは授業で取り上げた題材が着火点となって、手当たり次第に思いついた質問をマシンガンのようにぶつけてきます。先を競って手を挙げ、自分が持っている知識を披露しつつ、質問に絡めてきます。その騒がしさたるや、部外者が見れば授業崩壊と見まがうような光景の時もあります。

たとえば、さとうきびが話題になるとします。そうすると、たいてい最初に質問されるのは同じ砂糖の原料であるてんさいとの違いです。てんさいが北海道で採れる理由と、さとうきびが沖縄で取れる理由の違いを知りたがります。そこから樹形図のようにいろんな話題に飛び火していくことになります。折りしも現在は普天間基地の移転問題が話題になっているので、子どもたちのアンテナは敏感です。先日の授業では、沖縄に関する歴史から、政治や法律のことまで質問攻めにあいました。

なぜ日本はアメリカと同盟を組まなければならないのか。なぜ沖縄に基地が集中しているのか。内閣総理大臣はどうやって選ばれるのか。なぜ民主党に政権交代したのか――。どんな問題でも、たとえそれが不確かであっても、私はすべての質問に即答します。間違っていたら、後で調べて訂正すればいいだけのこと。知的好奇心の火が点いた時に、それをうちわで扇いで大きな炎に変えてやることが必要なのです。

この知的好奇心の火が燃え盛っているかどうかは、家庭の在り方が如実に反映されます。子どもが知的好奇心を示した時の家庭の対処がとても重要なのです。「うるさい」とか「またあとで」というようなネガティブな反応を示してしまえば、子どもは叱られたのと同じ印象を持ちます。そうなると子どもは尋ねることに萎縮し始めます。やがて知的好奇心の炎はくすぶり、消えていくことになるのです。

私はよく、「学力」をクルマにたとえて話をします。「学力」というクルマには「考える力」というエンジンが搭載されています。そのエンジンに「知識」というガソリンを注いでクルマを走らせます。ドライバーがクルマを走らせるからこそ、エンジンが動いてガソリンが減ります。そこにガソリンを補給する意味が生まれるのです。ガソリンを補給するからクルマが走るのではありません。

クルマのドライバーは子ども自身です。この道を行ってみたい。違ったハンドルの切り方をしてみたい。もっと速く走らせたい。もっともっと違う景色を見てみたい――。彼らは、「もっと速く、もっと遠くに」という周囲の声に従ってクルマを走らせるのではなく、自分の意志で純粋にクルマを走らせることを楽しみます。エンジンがうなりを上げ、快走する喜び。ガソリンを燃焼し尽くす感動。未知のことにわくわくして胸躍らせ、とことんまで自分の力で考え抜き、純粋に学ぶことに没頭できる力。私はその力を「ポジティヴな知的好奇心」と呼んでいます。

「ポジティヴな知的好奇心」とは知ることに対する純粋な欲求です。その純粋な欲求を、大人の都合に合わせて変えようとしないでください。たとえば、算数の問題を没頭して解きつづける子どもに時間がかかり過ぎていると注意したり、すぐに別の効率の良い解き方を教えてはいけません。非効率的であろうと、失敗であろうと構わないのです。数々の失敗という体験の上に成功や正解があります。そんな「生きた正解」が「生きた学力」になるのです。効率的だからと言って、失敗の体験を与えずにいきなり上から「死んだ正解」を与えても、行き着く先は「死んだ学力」です。「ポジティヴな知的好奇心」は、失敗にくじけることなく何度でも挑戦する力が湧き出す泉なのです。

幼児期にポジティヴな知的好奇心を身につけさせるには、「体験・刺激・反応」が必要です。子どもの手の届くところに絵本や知的な遊具などを置いておく。子どもを外に連れ出して一緒に自然に親しむ。子どもにいろいろな興味深い話をして聞かせる。子どもが関心を示したことや質問に、笑顔で子どもが納得するまで答えることが何より大切です。教育とは習慣なのですから、時間も手間もかかります。日頃から会話やコミュニケーションで子ども自身を知り、子どもの知的好奇心を引き出す――。そうやって身につけた「ポジティヴな知的好奇心」が、「学力」というクルマを前に進め、「結果的に」合格へと続いていくのです。

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