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週刊こぐま通信
「小・中・高 現場教師が語る幼児教育の大切さ」

vol.6「絵本の読み聞かせのすごさ」

2010年4月30日(金)
プラウダス講師 石原弘喜
教えていると、明らかに目を引く子どもがいます。自分の力で考え、自分のことを自分でできる子どもです。情緒豊かで、大人の話もしっかりと理解する。存在の輪郭がはっきりしていて、接する者に安定感を与え、学力の伸びしろの端が見えない。ひとことで言えば、学力の器が大きい子ども。長年そんな子どもたちを教えるうちに、幼児期にある共通した体験があることを知りました。

幼児期は日常の体験を通じて情報と知識を吸収しながら自己を確立していきます。その意味で、日常の体験は幼児の自己そのものです。体験を通じて幼児が自分の世界を拡げていくことを、私は「自己の拡張」と呼んでいます。「自己の拡張」とは、自分以外の世界を自分に取り込んでいくことと言えばいいでしょうか。ひとつひとつの体験を自分の血肉として、自分のものにしていきます。しかし、その拡張はある時点で限界にたどり着きます。日常から知りうることには限界があるからです。とりわけ、幼児にとっての日常はとても小さいものだからです。

そうすると、幼児には日常よりもっと大きな「疑似体験のための世界」が必要となります。疑似体験とは、外国の話や、動物の話や、宇宙の話や、物語など、日常ではできない体験のことです。以前、学力の基礎である「読む・聞く・話す・書く」国語力について述べましたが、その中でも幼児期の初期に形成されるのは「聞く・話す」国語力です。そのひとつである「聞く」国語力が幼児期における自己を拡張する原動力となります。

物語を聞くことで幼児は想像力をかきたてられます。想像力と「聞く」国語力が高ければ高いほど、疑似体験は日常の体験に近づきます。日常の体験と疑似体験の同質化。そうなると幼児の自己は擬似体験によって拡張をはじめます。実は、「聞く」国語力と想像力を疑似体験を通じて高める最良の方法があります。絵本の読み聞かせがそうです。冒頭で触れた子どもたちは、みな保護者の方々から長期間に渡って相当量の読み聞かせを与えられてきました。

しかし、「聞く」という行為は受動的です。日常の体験と同じように、能動的に自分で疑似体験を積み重ねられるようにならなければ、自己の拡張は継続的にはなりません。そのためには能動的な「読む」という行為が必要です。そこには活字が不可欠になります。知的好奇心に衝き動かされるまま、自分の意志で活字を通じて読み、想像力を働かせ、世界を把握することで、自己は急速に拡大していきます。それは産業革命のような急速な発達にも似ていて、新しい世界が活字を通じて子どもの中にどんどん流れ込み、内側から子どもたちの自己を拡大させていくのです。

活字を使わない国語力から活字を使う国語力へのシフト。それは「聞く・話す」国語力から「読む・書く」国語力へのシフトを意味します。その架け橋となるのが絵本の読み聞かせなのです。親が子どもと一緒になって読んで聞かせる。次に活字をなぞって、読み聞かせる。読むことを楽しいと感じた幼児は、いつしかひとりでに絵本を読むようになります。また、読み聞かせは子どもと読み手で物語を共有するため、一体感が生まれます。絵本の内容について感じたことを互いに交換する過程でコミュニケーションが生まれ、感情も共有します。言葉によるコミュニケーションは「話す・聞く」国語力を高めるだけでなく、相手の感情を感じ取る大切な手段となります。さらに絵本の読み聞かせは、読み手の聞き手に対する愛情がなければできません。子どもは絵本を媒介としたコミュニケーションによって、読み手の愛情を受け取ります。

「聞く・話す・読む」国語力、活字へのシフト、疑似体験を通じた想像力と知的好奇心の刺激、そして愛情。絵本の読み聞かせは、幼児期において学力の器を最大限に拡げるすべての要素を含んでいます。難関校受験で成功を収める方法を尋ねられたら、私は迷わず幼児期の読み聞かせと答えます。それほどまでに読み聞かせをしている子どもとそうでない子どもの間には学力的に大きな開きがあります。確かに、読み聞かせには時間と手間がかかります。しかし、愛情に支えられた時間と手間こそが、のちの子どもの人生を決定的に左右していくのです。

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