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週刊こぐま通信
「知育を軽視する日本の幼児教育が危ない」

外国に出てみてはじめてわかる 日本の幼稚園教育の遅れ

第38号 2015/4/14(Tue)
こぐま会代表  久野 泰可
 独自に開発したオリジナル教材を、全国の書店で扱っていただくようになってからすでに20年がたちました。その教具・教材を媒介として、全く予期もしなかった教育関係者との出会いをたくさん経験してきました。その教材に具現化された「KUNOメソッド」の内容と方法について高い評価をいただき、それを使用したいという申し出を受けて、日本国内のみならず、中国・韓国・ベトナム・インドなど、幼児教育に熱心な国の幼稚園や保育園にメソッドや教材を提供してきました。また、そうした国に出向いて講演会を開いたり、モデル授業を公開したりしてきました。上海が最初ですから、もうすでに7年が経過しています。上海では、現在5教室で500名近い幼児を預かっています。また、韓国では幼稚園を通じて6,000名に及ぶ子どもたちに教材を提供してきました。ベトナムやインドは、開始してから1年足らずですが、ベトナムではすでに50名近い子どもたちが教室に通い、今年中に200名を達成できるよう取り組んでいます。一番新しい提供先であるインドでも、日本人・インド人を中心に生徒が集まり始めています。そうした経験を通して私自身も学ぶことが多く、特に日本の幼稚園教育がおかれた立場がより鮮明に理解できるようになってきました。上海でもハノイでも、やはり「お受験」はあるようです。外向けには受験禁止の国ですが、よい学校に入れたいという親の願いは変わらず、形を変えた受験は存在しているようです。しかし、そうした当面の目標だけでなく、将来の子どもの成長にとって幼児期の教育がとても大事だという意識は、日本の保護者の皆さまより強いことだけは確かです。「学歴社会」だから当然だと言えばそれまでですが、世界中のメソッドが導入されている中で、そのメソッドの優秀性を見抜く目は本当に鍛えられていると思います。多くのインターナショナル幼稚園では、一般的に「モンテッソーリ法」をうたって生徒集めをしていますが、現場の教師たちは、その優秀性と同時に問題点も把握しているようで、そうした現状の中で、「論理的思考力を育てる」KUNOメソッドに期待が集まってきていることを実感します。

何が評価の対象になるかといえば、やはり「事物教育」の素晴らしさだと思います。対話教育もそうですが、事物に取り組む子どもたちの輝く目を見て、現場の先生方は感動してくださいます。ものに働きかける楽しさと、そこから湧き出る課題を乗り越えようとする意欲。それは、モンテッソーリ流の言い方をすれば「集中現象」を起こしているのでしょう。その上に、積み上げられたワークによるトレーニング。この連携こそが「KUNOメソッド」の神髄であり、そこをちゃんと理解してくださっているところが素晴らしいと思います。

日本から導入されている多くのプログラムが、やはりどうしても形式を教え込む旧来の方法が多く、そうしたプログラムの限界を知っている現場の先生方にとっても、KUNOメソッドは初めて見る教育法のようです。そして何よりも、セミナーで話したことを、今そこにいる子どもたちの前でモデル授業として行うという具体性が、多くの教育関係者や保護者に納得してもらっているのではないかと思います。理論先行型の教育ではなく、また、先の見えない楽しさだけの授業でもない点が、多くの皆さまに支持されている理由ではないかと思います。

海外に駐在している日本人も含め、外国に住む人たちと意見交換したりして、外から日本の幼稚園教育の現状を見た時、やはり何かが欠けていると思わざるを得ません。教育の力で人材を育て、将来の国の設計をしなければならない発展途上国の場合、やはり幼児期からきちんとした教育を受けさせなくてはダメだという考え方が一般的です。そうした国と比較して、「幼児期の知育は必要ない。小学校からで十分だ」と思ってきた日本とでは、意識の上で相当大きな隔たりがあることは確かです。何よりも、幼稚園の現場を預かる保育者、および子どもを預ける保護者の中にそうした意識が育たなければ、国がどんな方針を出そうとも、日本の幼稚園教育には本当の意味での知的教育は育たないでしょう。

幼児期の知的教育がすべて「早期教育」「お受験」「英才教育」であるといったように間違った考えで受け止められ、自分たちには関係ないと思っている日本人が多い限り、日本の幼稚園教育は何も変革されないでしょう。その意味では、子どもを取り巻く大人たちの意識変革がどうしても必要です。


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