ページ内を移動するためのリンクです
MENU
ここから本文です
週刊こぐま通信
「知育を軽視する日本の幼児教育が危ない」

幼児教育の改革は、政策の転換だけでは実現しない

第39号 2015/5/5(Tue)
こぐま会代表  久野 泰可
 ノーベル経済学賞を受賞した、ジェームズ・ヘックマン米シカゴ大学経済学部教授は「5歳までの教育が、人の一生を左右する」と指摘し、その影響を受けて、いま幼児教育の在り方が話題になっています。労働経済学の立場から、「格差是正のためには、幼少期の子どもとその親に対する働きかけをすることが大切である」と主張し、その考え方がOECDの教育白書にも反映され、世界各国で幼児期の教育に対する改革・投資が進んでいます。その点で一番後れをとっている日本でも、さまざまな改革案が議論されてきました。5歳児無償化や「認定子ども園」構想も、そうした流れの中で出てきた政策だと思いますが、これまで多くの矛盾を抱えて議論されてきた、「幼保一元化」問題の解決も絡んでいます。「認定子ども園」は、これまでの保育行政のいきさつを考慮し、

1. 幼保連携型
2. 幼稚園型
3. 保育所型
4. 地方裁量型

の4つの形で実行されています。経過措置とはいえ、いかにも日本的であると言わざるを得ません。しかし、教育内容抜きの政治主導によるこうした改革がうまくいくはずはありません。なぜなら、同じ国に育つ「子ども」の存在が何も考えられていないからです。現場の先生方の意見を聞く限り、やはりうまくいっていないようですし、保護者の皆さまの要求もばらばらなようです。

「認定子ども園構想」が評価されてスタートしたものの、昔からある「保育園的発想」と「幼稚園的発想」が、子ども園の成立の仕方によってどちらに力点を置くかに強弱があり、現場がうまくいっていないのでしょう。「保育」と「教育」のどちらを優先するかということでもあるし、「厚生労働省」と「文部科学省」の2つに分かれて運営されてきたツケが今、現場で顕在化しているのでしょう。それは、現場の指導者の意識、および昔からある園に対する保護者の意識の違いにも影響されているようです。「認定子ども園」は内閣府が管轄するとはいえ、そうした行政上の問題を乗り越えるためにも、「何をどう学ぶのか」の教育目標が明確にならない限り、「預かり」か「教育」かの議論は平行線のままで、何も解決しないまま延々と続くでしょう。

こうした改革の状況を「幼児教育ブーム」と言っていいかどうか分かりませんが、少なくとも、私が民間の教育機関で幼児期の基礎教育の在り方を考え続けてきたこの40数年間を振り返ってみると、井深大氏の「幼稚園では遅すぎる」という本の中で主張された「人生は三歳までにつくられる」をきっかけに沸き起こった幼児教育ブーム以来なのではないかと思います。

しかしそのブームも、理論的裏付けと具体的な教育目標や具体的な内容のない提案では、ブームが終われば何も残らず忘れ去られていくばかりです。今回の盛り上がりはそれとは違うとはいえ、労働経済学の立場から幼児期の教育に投資すべきだと言っても、「何をどう学ぶのか」という内容のない議論では、結局「読み・書き・計算が良い」という結論になってしまうのは、目に見えています。幼児期の教育の大切さが叫ばれても、理論構築と実践内容が明確に示されない限り、また忘れ去られていく「ブーム」に終わってしまいます。

私がこれまでに感じ取ってきた国家の保育政策は、いつも内容議論のないままの政策転換でしたから、「またか」の印象はぬぐえません。ですから、この問題は現場サイドが強い意志を持って立ち向かっていかないと、思い通りの改革になっていかないと思います。そのためにも、まず保育現場の人たちの意識改革が大変重要だと思います。

「次世代を担う人材を幼児期からどう育てるか」という大きなテーマを掲げながら、理論構築と実践内容の確立を目指さなければなりません。教育学のみならず、心理学や脳科学の成果を取り入れた幼児教育理論の構築と、それを実践するために必要な「教育目標」を明確に示さないと、現場は何も変わりません。幼児教育の大切さばかりが強調されすぎると、誤った方法が正当化されていくことすら懸念されます。「ブーム」に終わらないためにも、今度こそ子どもたちに接する保育者が現場から大きな声をあげ、改革の先頭に立たなければいけないと思います。

PAGE TOP