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週刊こぐま通信
「知育を軽視する日本の幼児教育が危ない」

計算練習の前にすべき大事なことがある

第18号 2014/6/24(Tue)
こぐま会代表  久野 泰可
 昔から学力の基本は「読み・書き・そろばん(計算)」といわれるように、国語と算数が学力の基本であると理解されてきました。とりわけ、算数・数学のでき具合が、その子の学力全体を推し量る指標になってきました。だからこそ、「そろばん(計算)」が大事にされ、幼児期の基礎教育として、しっかりやるべきだという議論になっていくのです。そのことに間違いはありません。しかし、最初から数字の練習をし、たし算・ひき算の計算に入っていくようなやり方では、本当の意味で数学的な思考は育ちませんし、今小学校高学年で顕在化している、「計算はできるけれど文章題(応用問題)になるとできない」という結果になっていくことは目に見えています。早いうちから計算能力を高めても、そのことで今抱えている問題は何一つ解決しないし、一歩間違えば、幼児期のうちから今まで以上に大きな学力差を生む結果になってしまいます。

では、幼児期の数の教育はどうあるべきでしょうか。私たちが実践してきた数の教育は、計算を早くできるようにするという発想ではありません。四則演算の基礎を理解し、文章題を解く際の立式がしっかりできるような学力を身につけるべきだと考えています。現在行われている数の教育は、数学的思考力を育てるというより、いかに速く正確に計算ができるかが最大の目的になっています。私がこれまで批判してきた「計算主義」の算数を幼児期から行うようなことになれば、大きな問題を抱え込むことになってしまいます。

子どもたちは、意図的な教育の場を用意しなくても必要に応じて数の「自己教育」を行っています。極めて具体的な場面で、数を足したり・引いたり・ひとまとまりにしたり・分けたりと・・・四則演算の基礎を経験しているわけです。その経験とは全く無関係に数字の世界に子どもたちを引き入れ、そこで約束事をあたえて計算練習をするという無謀なことを平気で行っているのです。数字が先にあって、生活事実が後にあるような逆転した形で数の学習が行われるため、具体から抽象への思考回路が閉ざされてしまうのです。数字があろうとなかろうと、数的な生活経験は存在するわけで、今行われている数字から具体的事実を見るのではなく、生活事実から数字の世界を眺めるといった、具体から抽象への回路をきちんと身につけさせるべきです。そのためには、子どもたちの生活や遊びにテーマを求め、そこでの数的経験を想起させながら、数字の世界に入り込む前に具体的な事物を使って、四則演算の基礎となる「考え方」をしっかり身につけさせるべきです。私たちの教室では、年中児からしっかりとしたカリキュラムで「数」の教育を行っていますが、数字を使った指導は、年長の1月から始まる「就学準備クラス」からです。それまでは、ともかく事物を使って数の変化をイメージできるような物事への働きかけを重視した経験を積み上げています。その内容を列挙すると、

(1) 正確に数える(分類計数)
(2) 同じ数のものを探す(同数発見)
(3) 数の組み合わせを考える(数の構成)
(4) 二者以上のものの数を比較する(一対一対応)
(5) 合わせるといくつになるか(数の合成)
(6) 取ってしまうといくつになるか(数の分割)
(7) 増えたり減ったり(数の増減)
(8) まとめて全部でいくつになるか(一対多対応)
(9) 同じように分ける(数の分配)
(10) まとまりを作る(包含除の考え方)
(11) やり取りによる数の変化
(12) 約束に基づいた交換

こうした将来の四則演算につながる内容を、生活事実に即して考えさせ、数概念の形成だけでなく、数学的な思考法と解決の仕方を身につけさせています。こうした学習の積み上げの上に、年長1月からの就学準備で初めて数字を使った指導が始まり、入学に備えます。ここまでやると、入学前にたし算・ひき算はもちろん、かけ算・わり算の考え方も身につき、あとは、計算練習を徹底すればよいという段階まで引き上げていけます。2年間もかけて行っている数的体験のイメージ化を促す経験を抜きに、数字の世界に呼び込んで計算の仕方を教え込み、抽象化された計算の世界から生活事実を眺めるというような逆転した方法で学ぶために、計算が速くできてもそれを使いこなすことができないのです。「3×4」と「4×3」の違いがわからないまま、かけ算九九が暗唱できても、それはかけ算が本当に分かったことにはなりません。私たちは、入学前までに四則演算の違いがわかり、例えば「6+3」「6-3」「6×3」「6÷3」の意味するところがわかるように、最後の授業で「計算式を使ったお話づくり」をさせています。

「読み・書き・計算」が大事とは言え、指導の最初から数字を使った計算練習をさせるようなことにならないようにすべきです。年長児を義務化させ、国家が費用を負担するようになれば、最低限の指導内容は提示されてくるはずです。その際「読み・書き・計算」の徹底を目指し、今小学校1年生で学習している内容を、易しく薄めて下に降ろしてくるような事態になるのではないかと懸念しています。これでは幼児期から数の教育をする意味は何もありません。ただ、計算が早いうちからできるようになるだけで、「数学的な思考力を育てる」という根本的な改革にはほど遠いものになってしまいます。

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