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週刊こぐま通信
「知育を軽視する日本の幼児教育が危ない」

「読み・書き」の前にすべき大切なことがある

第19号 2014/7/8(Tue)
こぐま会代表  久野 泰可
 平成26年7月3日、教育再生実行会議は小中一貫校の設置を促進し、小学校6年・中学校3年の区分を自治体の判断で弾力的に見直せるようにすることとともに、幼稚園や保育所などでの5歳児の教育の義務化を検討するなどとした提言を総理大臣に提出しました。

今検討されている5歳児の無償化が実現すれば、そこで行う教育の質を向上させることが要求されるはずです。そうなれば当然、「幼児期の教育」をどう組み立てるかが議論されるでしょう。大きな枠組みとして、「身体活動」「表現活動」「知的学習活動」「集団活動」等の側面から、子どもの成長を促し、小学校へのつなぎを意識した教育内容が検討されるはずです。中でも、日本の幼児教育で一番蓄積のない「知的学習」の内容に関しては、「読み・書き・計算」を徹底して行うことが要請されるでしょう。学力の基礎づくりとして「読み・書き・計算」が強調されると、現在1年生で学んでいることを易しくして下ろせば良い、という考え方が広まっていくはずです。しかし、私が40年間実践してきた教育はまったく違います。事物教育を中心とした「教科前基礎教育」こそ、読み・書き・計算の前に行う幼児期の基礎教育であるべきです。この考え方は、数学者である遠山啓氏が、6年間にわたって行った養護学校での実践を踏まえて総括した、次のような考え方を基本としています。

私たちは、知的発達を促がす〔原文ママ〕ためには、発達を自然のうちに放置しておくのではなく、発達の初期の段階から確実につみあげていく必要があると考えている。教科の指導にはいる前に、そこに進むために必要な、基礎的な概念や認識、思考方法を教科学習の準備のための基礎教育として、指導しなければならない。
『歩きはじめの算数』(遠山啓 編(1972)、国土社) p.33

国語科へのつなぎを考えた言語教育の観点で言えば、文字を読んだり書いたりする前に、行うべき大切なことがあるということです。どうしても形になり易い「読み」「書き」に人々の関心が行きがちですが、国語科の4本柱を形成する「聞く力」「話す力」の育成こそ、幼児期の基礎教育においては力を注ぐべきです。私たちが年間カリキュラムを作る際、将来の国語科につながる「言語」領域の学習では、次のように大きく3つの柱を立てています。

1. 言葉の学習
2. 話の内容理解
3. お話づくり

こぐま会で実践している言葉の学習では、言葉遊びとしての「しりとり」を中心に、「名詞」中心の学習にならないよう、「動詞」「形容詞」「副詞」等の学習も重視し、表現力を高めるための言葉の獲得を目指しています。また、「話の内容理解」においては、将来の読解力につながるよう、「絵本」「紙芝居」「テープによる長いお話の聞き取り」等を行っています。
また、「お話づくり」においては、目の前で起こる人間の動作や絵カードに描かれた登場人物の行為を表現したり、4枚の絵カードを時系列に並べてまとまったお話をつくる学習をしています。自分の考えたお話を言葉を使って表現することを通して、「話す力」の育成を目指してきました。また、集団制作などを通して「相談」する経験をたくさん持たせ、相手の意見を「聞く」ことや、自分の意見を「話す」ことを総合的に経験させるようにしてきました。

母国語である言葉は、自分の体験を通して獲得していかなければ意味がありません。子どもたちの生活や経験と何の関連もない「言葉」を身につけても、輝きをなくした「音」でしかあり得ません。みずみずしい感覚を言葉に取り戻すためには、経験と表裏一体でなくてはなりません。その意味で、幼児期の言葉教育が「読み・書き」に収斂してしまったら、言葉からその輝きとみずみずしい感覚をなくしてしまうことになるでしょう。音としての言葉ではなく、考え方に裏付けられた概念としての言葉、経験に裏付けられた表現する言葉・・・、幼児期だからこそ、そうした言葉をたくさん身につけてほしいと願っています。ひらがなの読み書きから入るような味気ない言語教育では、子どもたちの思考力や表現力を育てることにはなりません。遠山氏が提唱した「原言語」とは一体何なのか・・・それを現場で追及してきましたが、結論が出るまでには、まだ相当の時間が必要なのかもしれません。

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