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週刊こぐま通信
「知育を軽視する日本の幼児教育が危ない」

「5歳児から義務教育」報道にふれて

第17号 2014/6/10(Tue)
こぐま会代表  久野 泰可
 6月5日の日経新聞は、「義務教育5歳から検討」と題し、政府の教育再生実行会議が「6・3・3・4」制の学制改革に関する提言に向け、素案をまとめたことを報告しています。その中で、義務教育の対象を5歳児に前倒しすることを検討するよう求めています。再生実行会議は、現行制度を維持したまま、5歳児にかかる教育・保育費を無償化することを想定しているようです。基礎学力を早期に身につけさせることなどが狙いで、幼保の枠組みを維持したまま、小学校生活にスムーズに移行できるように改革する狙いがあるのでしょう。小1プロブレムと言われるように、入学した時点で基本的な生活習慣が身についていない子どもが、授業中に騒いだり、勝手に動き回ったりして授業が成り立たないようなことがないようにしたいという狙いもあるのでしょう。

就学年齢の1年引き下げは、私がこの仕事に携わった40年間の内に、何回も出ては消え、消えてはまた出て・・・ということを繰り返してきました。実現しなかった理由の一つに、幼稚園経営者からの根強い反対がありました。しかし、それだけではありません。1年引き下げて一体何を学ばせるのか、それが明確になっていなかったことも理由の一つにあったはずです。では、この時期に再び議論の対象になってきたのはなぜでしょうか。懸案の課題が解決したからなのでしょうか。そんなことはありません。OECDの保育白書の中の提言や、世界の動きに影響されて出てきたことは確かですが、問題は山積みです。「子ども園」構想で、従来からあった幼保一元化の問題は、多少解決の方向に向かっているようですが、就学年齢を1年引き下げて何をやるのか、その方針は何も出されていません。おそらく今まで小学校1年生でやっていた、「読み・書き・計算」を少し早めて行えばよいぐらいに考えているのでしょう。こんな発想でうまくいくはずはありせんし、小1プロブレムと同じことが、年齢を下げてより深刻になるだけの話です。そもそも、小1プロブレムの原因を生活習慣が身についていないからだと考え、義務化して5歳児から徹底してルールをたたき込めば良いという考え方そのものが間違っています。小1プロブレムの原因は、訓練で片付くほど単純ではありません。入学後から始まる授業の中味や方法が、子どもたちにとって魅力的でないからです。私が担当する年長の子どもたちは、授業内容と授業方法を工夫すれば、1時間半でも集中して取り組みます。教科書とノートと黒板があればできる授業とは違った、「事物教育」・「対話教育」を実践すれば、小学校に入ってきたばかりの子どもでも、きちんと集中して取り組めるはずです。そうした工夫がないまま、「しつけがなっていないから」・「訓練が足りないから」・「基礎学力が身についていないから」小1プロブレムが起き、教室を動き回る子どもが生まれるのだと結論付けることは間違いです。子どもにとって楽しい授業・わかりやすい授業を行えば、子どもの取り組みは違ってくるはずです。これまでの授業のイメージを変えない限り、就学年齢を引き下げたところで、今抱えている問題は解決しません。逆にいえば、現行の体制でやるべきこと、できることはいっぱいあるのです。制度を変えなくても、現在のままであっても、園長はじめ保育の現場にいる大人の発想が変われば、日本の幼児教育は変わっていくはずです。制度的な解決で教育改革ができると考えている役人が、この国の幼児教育をだめにしてきたのです。幼保一元化問題や、幼小一貫教育の在り方が内容を伴って議論されなければ、問題の解決には程遠いし、義務化することによって新たな問題が起こる可能性は十分考えられます。

韓国ではすでに5歳児の教育を無償化していますが、国の指導をあまり強く打ち出さず、幼稚園や保育園の独自性を重んじ、ナショナルカリキュラムを示しながらも、独自に教育の内容を考えるようになっているようです。一方で、小学校へのつながりを意識した、意図的な教育を推進するよう強く求めています。そのため各幼稚園では、望ましいカリキュラムを世界に求めています。そうした中で、考える力を育てる「KUNOメソッド」が注目され、多くの幼稚園で導入されています。日本においては、今回の方針が実行に移されるまでに多くの時間を必要とするはずですが、仮に実施されるとなれば、韓国のように現行の体制を維持したまま、5歳児の教育にかかる費用を国家が負担するということになるでしょう。国から示される最低限の教育内容を踏まえ、各幼稚園や保育園で、今まで以上に小学校へのつなぎを意識した教育実践が求められることでしょう。安易な「読み・書き・計算」になだれ込まないで、きちんとした考えで幼児期の基礎教育ができるよう、1日も早く指導方針を打ちたてるべきです。

「読み・書き・計算の前にすべきことがある」・・・私はこう繰り返し主張してきました。こうした状況を考えると「教科前基礎教育」・「事物教育」・「対話教育」を実践してきたこぐま会の経験が意味持つ時が必ず来るはずです。制度上の問題を解決することは大切なことですが、教育の中味が議論されない制度改革は、新たな矛盾を生むだけの結果になってしまいます。そうならないことを強く願っています。

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