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週刊こぐま通信
「知育を軽視する日本の幼児教育が危ない」

遠山氏の提案と幼児期にすべき知的教育

第3号 2014/1/24(Fri)
こぐま会代表  久野 泰可

 八王子の養護学校で、6年間にわたり知的障害を持つ子どもたちに、「どのように算数を教えたらよいか」を実践した遠山啓氏は、1972年その実践記録を「歩きはじめの算数」として著しました。そこで提唱された「原教科」の考え方を私なりに解釈し、実践によって肉付けしてきたものが「KUNOメソッド」です。そこで、遠山氏の考え方をもう少し詳しくお伝えし、「幼児期の基礎教育」のあり方を議論するきっかけにしたいと思います。『歩きはじめの算数』(遠山啓 編(1972)、国土社)の中で、遠山氏は次のように述べています。

......教育がしだいに下降していって、もっとも根源的なものに到達し、ここを出発点として、両び〔原文ママ〕上昇することができたら、これまで教育不可能とされてきた障害児も教科教育が可能となるだろう。
 そのためには、いうまでもないことだが、従来の教科に対する固定観念を打ち破って、根源的なものに深く下降していく必要がある。たとえばこれまでのべたいくつかの指導法は、従来の数学という教科では行われたことのないものばかりである。このような分野を私は「原数学」(Ur-Mathematik)とよぶことにしている。
 これを他教科にまで拡張すれば「原言語」「原音楽」「原造型」・・・・・・ともいうべき分野が新しく開拓される必要があろう。そしてそれらを総称すれば「原教科」という分野が設定できよう。これは人間の精神活動の萌芽形態を探究するためのもっとも興味深い分野となるだろう。」(p.20)

と、「原教科」の考え方を説明し、それを基礎教育として推し進めることを提案しています。また、意図的な働きかけの必要性を次のように述べています。

 私たちは、知的発達を促がす〔原文ママ〕ためには、発達を自然のうちに放置しておくのではなく、発達の初期の段階から確実につみあげていく必要があると考えている。教科の指導にはいる前に、そこに進むために必要な、基礎的な概念や認識、思考方法を教科学習の準備のための基礎教育として指導しなければならない。(p.33)

そして冒頭では、総括として「幼児教育に対する期待」を次のように表明しています。

この本でとりあげられている内容は、未測量にせよ、分析・総合にせよ、空間表象にせよ、すべて従来の学校でやっていなかったものばかりである。
 しかし、わたしたちは、このようなものこそ小学校の算数教育の始まる前に十分身につけておいてほしいものだ、と考えている。それは、従来の教科教育、とくに算数教育が始まる前に、その準備として、このような学習が必要である、と考えたのである。そういう性格をもったものを私たちは「原数学」とよんでいる。
 したがって、ここで実践されているさまざまな内容や方法は、一般の幼児教育にも役立つのではないかと、ひそかに期待しているのである。(まえがき)

私はこれまで、教室での指導内容をメソッドとして確立するために、たくさんの理論書や実践記録を読んできましたが、この遠山氏の考え方が、「幼児期における知育の位置づけ」を一番明確にしている考え方ではないかと思います。こぐま会では、遠山氏の提案を次のように理解し、受験指導も含めた日々の教育活動に生かしてきました。

  1. 小学校入学後に始まる教科学習を、易しく、薄めて行う「先取り教育」はしない
  2. 原教科の内容は、それぞれの領域の専門家の意見を尊重し、そこに実践者の経験を加味し、幼児の発達に見合う適切な内容を考える
  3. 教科前基礎教育の指導法は、知識の教え込みではなく、子ども自らが事物に働きかけ、試行錯誤を通して認識能力を高めていくものである。そのために、教育方法としては、「事物教育」を最優先すべきである
  4. 言葉を通して考え方を育てるために、「対話教育」を重視する

こうした考え方を基本として、「KUNOメソッド」では指導する領域を6領域に設定しました。

1.未測量  2.位置表象  3.数  4.図形  5.言語  6.生活

日本の幼児教育が知育を軽視する背景には、幼児期の教育の位置づけが明確にできていないということがある、とすでに述べました。この遠山氏の考え方を援用すれば、幼児期にやるべき知的教育の位置づけは明確です。こうした理論的な背景がないままに、「遊び保育が大事」という点だけが独り歩きしてしまった結果が、今の幼稚園や保育園の現状を招いているのです。それは同時に、これまでの「教員養成」のあり方にも大きな問題点があったということを表しています。幼児教育の位置づけを明確にし、その考え方に沿って、実践を重視した「教員養成」がなされない限り、理念があっても実践が進まない現状が続くことになるでしょう。

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