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週刊こぐま通信
「行動観察だより」

自由あそび

第8回 2013/2/1(Fri)
こぐま会 廣瀬 亜利子
「こんにちは!」「こんにちは!」
「そろそろ始めましょうか。折り紙片づけてきて。今日は忙しいからね。」
「なんで~?」
「たくさん遊ぶのよ、今日は。」
「わ~!大変、大変!早く片付けなくっちゃね!」(とキラキラした笑顔)

今週のテーマは「自由遊び」で、行動観察クラスでは4回毎に行っています。今年度の子どもたちにとっては、今週で2度目の経験となりました。今回の遊具は、つみ木、ボーリング、輪投げ、ぬいぐるみ、絵本で、教室の中に配置されているそれぞれのコーナーで自由に遊ぶというものでした。

小学校入試における「自由遊び」と言えばすぐに思い浮かぶのは、何と言っても聖心女子学院初等科です。何十年も前に、この学校の入試で自由遊びが初めて行われたことをきっかけに、その後、周辺の女子校を中心に徐々に広がっていきました。当時、まるで世の中のブームであるかのように、あらゆる学校で自由遊びを行うようになりました。が、やがてそのブームは去り、自由遊びの代わりに指示行動的なものや共同制作などが台頭しました。そして長い年月を経て、聖心の入試で「自由遊び」が再び登場したのが6年ほど前のことでした。3年間続きましたがそれ以上は続きませんでした。それ以外の学校でも共同制作+作ったものを使って自由に遊ぶ、というように純粋な自由遊びから多少形を変えての出題に変わっていきました。横浜雙葉小学校と東洋英和女学院小学部だけは、今も変わらず自由遊びが出題され続けています。このような変化の背景として、とりわけ聖心について取り上げてみたとき、学校側の思惑のようなものを強く感じます。「塾への挑戦?」適切なことばが見つからないのですが、行動観察が重視されてきたと同時に、多くの塾で「形の教え込み」が始まりました。お辞儀の仕方から自由遊びにおけるお友だちへの声かけまで、すべてマニュアル通りセリフ通り教え込むというやり方です。聖心で自由遊びが復活して2年目のことでしたが、外部の方も受講できる季節講習会で出会った子どもたちが自由遊びで子ども同士交わしているやりとりは、学芸会のお芝居のようでしたし、お辞儀の仕方はまるで徹底的に研修を受けたデパートの販売員のようでした。子どもらしさのかけらもなく、不自然この上ないものでした。これではその子の「素」などとても見られませんし、ご家庭の教育方針も、家庭の様子についても本当の姿を見抜くことが難しいでしょう。おそらく学校側は、不自然な教え込みの一歩も二歩も先を飛び越えて、教え込みでは通用しない、どう展開するか予測不可能な設定を意図的にしたのだと思います。その中で子ども同士がどのように関わるのか、起こった出来事に対してとっさにどう対応するのか、そのときのことば使い、どのようなやりとりをするのかを観察できるような工夫をしてのであろうということを強く感じます。

今回も遊びに入る前に、皆とお約束を交わしました。「走らないこと。」「大声を出さないこと。」この2点につきましては入試当日も必ず「お約束」として伝えられることです。それに加えて私はいつも、「一番守ってほしいお約束は、楽しく遊ぶこと!でもおふざけはだめよ。」
さーっとそれぞれ好きなコーナーに分かれて遊び始めました。

つみ木コーナーでは5~6人の子どもがお互い声をかけ合ったりしながら何かを作っていました。作っていく過程で会話の内容が少しずつ変わっていき、おうちごっこに発展しました。いつの間にか配役もしっかり決まったようで、お母さん役の子が子ども役とイヌ役、ネコ役の子たちに買い物を頼んでいるときの様子があまりにも面白くて思わず笑ってしまいました :

「プルコギがどうしても食べたいのよ、ママは。だからあなたたち、お店行ってプルコギ買ってきて。」
「プル・・何?」
「だから、プ・ル・コ・ギ! わかったの?」
「プル・・コギ?」
「そうよ!早く行きなさい。走っちゃだめよ。」
「は~い!」

乗りに乗った4人の周りに1人、2人、「楽しそうだな~。いっしょに遊びたいな~。」という表情を浮かべてそばでしばらく見ていました。2人ともなかなか自分から声をかけることができず、じーっと黙って見ていることが多かったのですが、最近すごく慣れてきたのか、とても自然に途中参加ができるようになってきました。嬉しい変化です。

ボーリングコーナーでは、1人の子が、自分は投げずにずっとお友だちが投げる度に励ましの声をかけ、倒れたピンを次の子のために並べなおし続けていました。本人は全く不満そうな様子もなく、それはそれで楽しそうでした。他の子たちは他の子たちで誰もピンを並べてくれている子に対して気遣う様子は全く見られませんでした。ただひたすら何本倒せたかに集中していました。

しばらくすると、ぬいぐるみで遊んでいた子たち3人が、各コーナーの合間を縫うように走り出しました。どうやらぬいぐるみの追いかけっこが始まってしまったようでした。しかも逃げ切れなくなると思わず「キャー!!」とすごい声が響きわたりました。

「あれ?お約束何だったっけ?」
「走っていいの?」「大声出していいの?」
「ダメ。」と当事者たち。「やってしまった~」、と反省顔。
「おふざけ」と「楽しく」の違いは理屈ではわかっているものの、つい楽しくなるとエスカレートしてしまうのが子どもなので、本当に子どもらしい天真爛漫さが見えれば問題ないのですが、悪ふざけの光景は多くの場合「心の荒れ模様」を感じるのです。
その様な場合、保護者の方とお話しているとたいてい原因が見えてきます。
幼稚園(保育園)生活に対する不満、お友だちとの関係、家庭生活が勉強に偏りすぎ、発散しきれていないなど、必ず原因が見つかります。ふざけ過ぎは明らかに「サイン」なのです。

自由遊びほど、子どもをいろいろな角度から観察する上で有効な手段はありません。
私が4回毎に自由遊びを行うのも、決して小学校で出題される・されないからではなく、今その時点での子どもの素を知りたいということと、それ以上にその背後にあるご家庭の方針、生活の様子、環境、ご両親の価値観などが知りたいからです。結局のところ、学校側が知りたいのは、子ども自身というよりは、その子の両親であろうと思うからです。子どもの行動の一つひとつの背後にその両親の導きがあるからです。
ひとりひとりが観察をしていると、本当にその子どもの日常生活が目に浮かんできます。そして、目に浮かんできたことと実際が大きくはずれたことはほとんどありません。子どもの行動と家庭の方針がこれほどまでに連動するものだということを私自身も、自分の子どもを育てているときはよくわかりませんでしたが、教師として客観的に数々の親子と何年も接し続けているうちに確信しました。

誰も皆、それぞれに何かしら課題を抱えています。人と交われない、人見知りが激しい、わがまますぎる、主張し過ぎる、じっとしていられない、けじめがつけられないなど、いろいろあります。これらはどれも一見子ども自身の課題かのように解釈されがちですが、その子どもを取り巻く環境、両親の意識の持ち方がまず変わらないと抜本的な解決が期待できない場合の方が多いです。子どもたちが抱えている課題を解決に導く上で、自由遊びを通した子どもの観察記録はとても価値のあるものとなります。毎回記録を取り、前回のものと比べてみる→必要に応じて保護者と話をする→家庭生活における改善点が見つかった場合は、保護者の方にご理解いただき変えるべきという点についてはとりあえず変えてみて様子を見る、というようなプロセスを踏むことで、ほとんどの場合解決に導くことができます。もちろん短期間で解決できるほど単純なものでないので、時間はかかります。だからこそ毎回自由遊びをするたびに記録をつけて一人ひとりの変化を追っていく必要があるのです。しかし、どんな難題を抱えていた子どもでも、後で振り返ってみると大きく改善されています。みんな気がつかないうちにいつの間にか本当に成長しているのだなあとつくづく思います。

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