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週刊こぐま通信
「合格者からのアドバイス」

合格者からのアドバイス(15)

2008/05/30(Fri)
こぐま会代表  久野 泰可
受験を終えて思うこと

 我が家の小学校受験は、年少の11月(新年中)から始まりました。この頃より、朝幼稚園に行く前に、少しペーパーを始めました。といっても、子どもにあまり負担は与えたくないと考えていたので、今までと起きる時間は変えず、私が早起きし、すべての準備を済ませ子どもと向き合う時間を増やして、一緒にペーパーをこなしました。この頃は、以前より通っていた大手塾の先生に言われるまま、市販の問題集をこなしていたのですが、何度教えても娘が理解できない問題があり、子どもの思考力には、なにか段階的なものがあるのでは?と疑問に思いました。また、その時通っていた年中のお勉強塾でも、お行儀をうるさく言われ、良い子になっていくのだけれど持ち前の天真爛漫さが失われていくような壁にぶつかったとき、この年に受験を終えた友人からこぐま会の資料を見せてもらい、読んでいるうちに、まさに目から鱗が落ちるようでした。それから久野先生の本をいくつか読み、まさに私が悩んでいた問題がそこには書かれていました。ためしに体験させてみると、そこには天真爛漫のはじけた娘の姿がありました。当初は、女子校を目指すおとなしい女の子たちの中で、娘はあまりにもはじけすぎている気がして先生に相談することもありましたが、それから2年間、特に年長の1年間は、複数のクラスを掛け持ちしていたにもかかわらず、幼稚園は休んでも、こぐまを休むのを嫌がり、とても楽しく通わせていただきました。また、お勉強も2年間も準備しましたが、振り返ると年中の1年間はペーパーはあまり意味がなく、それこそ久野先生のお話の通り、事物教育を徹底すれば、年長の夏、秋にはかなりの理解力でペーパーをこなすことができるようになることを実感しました。本人も勉強することが楽しくなってきた時期で、試験が終わってからも、勉強していました。正直なところ、11月の末に試験があれば難関校も合格できただろうと思うくらいの伸びでした。
 今、試験を終えて思うことは、いかに子どもに勉強する楽しさを教えることが大事かということと、親が正しい情報と信念を持つことの大切さです。ほとんどの子が受験する幼稚園に通っていることもあり、多くの方が、合格を勝ち取るために手段を選ばない例を見ました。大切なのは「合格」だけでなく、子どもの将来の為に良い学校を選んであげることで、結果=ゴールではないと思います。
 実力だけでなく、運や縁も左右する小学校受験で、子どもの良さをいかにのばし、万が一希望通りの結果にならなくても、この一年は充実していたと思える親の舵取りが、何よりも大切なのではとつくづく思いました。

 こぐま会に入会する前に通っていた塾での勉強ではどうしても解決しない課題があったり、お行儀の厳しい塾で子ども自身が萎縮してしまったり・・・・と悩みを抱えながら、私たちの教室に通い始め、事物教育を徹底し、共学校に合格した方のアドバイスです。入会相談を担当していると、こうした悩みを抱えた受験生の保護者の方によく出会います。授業のカリキュラムもなく、ただ市販の問題集をやるばかりの準備教育ではあまりにもお粗末過ぎます。指導者の考え方を反映させたカリキュラムや手作りの教具・教材があって初めて独自な教育が成り立つはずですし、そこにこそ高い月謝を払って、その教室に通う意味があるはずです。独自な家庭用教材もなく、市販の教材だけの家庭学習では、教室での授業と連動した学習ができるはずはないし、また、お行儀を厳しく指導することが受験対策だと考え実行しているとすれば、入試の現状をあまりにも知らない素人の「みせかけ」指導といわざるを得ません。学校側はお行儀を試験で見ているのではありません。3~40年前の入試ではないのですから・・・。

小学校入試のための準備教育が、子どもにとって苦痛を伴うものであるなら、即刻止めるべきです。合格する為なら何でも許されるという発想では、試験が終わった途端、勉強嫌いになるのは目に見えています。これから入学し、教科学習が始まろうとしているそのスタートの時点で、勉強を拒絶するようなことになるなら、何のための学習だったのでしょうか。間違った考えの受験勉強は、子どもの伸びる芽を摘み取るだけでなく、取り去ることのできない深い心の傷を幼児期に与えてしまうことになります。そうしたことのないよう、小学校入試のための準備教育を特殊なものと考えないで、まともな幼児教育の実践の延長に入試があると考えるべきです。親が間違った舵取りをすると、たとえ合格したとしても、それに引き換え失うものがあまりにも大きいということをよく知っておくべきです。

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