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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

「小学0年生構想は幼児教育改革のチャンス(1)」

第722号 2020年5月29日(金)
こぐま会代表  久野 泰可

 5月28日のニュースによれば、政府は2021年度からの「9月入学」は見送る方針を固めたようです。新型コロナウイルス対策による学習の遅れに乗じて出てきた議論ですし、十分な検討を重ねないまま、以前中曽根内閣の時代に検討した「9月入学」に関する3つの提案を出しただけですから、当然の結果にほかなりません。「保育の期間にしわ寄せがいくなど課題が多いから・・・」と言うのが見送りの理由のようですが、そんなことは最初から分かっていたことで、なんの理由付けにもなりません。今回の議論の発端になった、高校生の意見や秋入学が多い欧米への留学促進や国際化につながるなどの賛成意見は、すべて大学への入学についてのものでした。しかし、9月入学問題は高校からの出口問題だけではなく、就学への入口の問題であり、その検討が何もなされておらず、空白期間の穴埋め程度の議論しかなされていなかった結果、「教育現場を混乱させかねないと判断した」のが見送りの理由だとしたら全くお粗末な話です。自民党内に秋季入学制度検討ワーキングチームがあるようですが、一体何を議論しているのでしょうか。一番大事な教育課程の検討も十分なされないまま出口の議論ばかりしていたために、一番混乱を起こす就学についての内容検討もなかったのでしょうか。9月入学に関して問題となる、就学年齢の先延ばしかそれとも前倒しかは、5歳で小1になるか6歳で小1になるか、とても大事な議論ですし、過去においても就学年齢の1年引き下げ(現在の年長を小学1年生にするという案)も相当検討されているはずです。それがこれまで実行できなった大きな理由は、仮に5歳時就学になった場合(欧米諸国では当たり前)何を最初の学びにするかというカリキュラムが十分できていなかった結果にほかなりません。そこには、従来の幼稚園・保育園では、知的な学習はしないという暗黙の了解があり、他国のように時間割を決めて活動や学びをすることを「幼稚園の学校化」ということで反対する人たちが大勢いたからにほかなりません。挙句の果て、「読み・書き・計算をやれば良い」という乱暴な議論がまかり通っていたのです。

突然降って湧いたように出てきた「9月入学」案は、新型コロナの影響で2~3カ月授業ができなかった穴埋めと、従来から議論されていた世界の大学の入学時期に合わせていこうという考えが結びついての議論です。本来ならば、学習の遅れをどうするかという問題と9月入学の問題とは別々に議論すべきなのに、それがくっついてしまっているところにさまざまな意見が飛び出したのでしょう。お金がかかる、教員が足りない、社会の仕組みを変えなければならない・・・と9月入学について反対意見もさまざまです。しかし、子どもたちにとって一番大事な「学びの連続性」は何も問題にされないまま、良いか悪いかの議論に終始しています。私は、ここで9月入学の是非を議論するつもりはありません。ただ、今回の9月入学をめぐって出てきた「小学0年生」構想を、9月入学に伴う移行措置の中で数字上でのつじつまあわせにするのではなく、就学時期をどうするかという議論として受け止め、日本の幼児教育のあり方を考えるきっかけにすることが大事だと思います。実際にイギリスでは、小学0年生のような考え方があるようです。イギリスでは子どもたちは3~4歳で「Nursery」「Preschool」と言われる保育園に通うことができますが必須ではなく、4~5歳で「Reception」と言われる小学校の幼児クラスに通うことができるようです。ですから、日本の年長児が小学0年生(4・5歳児)になり、小学校内に存在しているということです。そこでは学校での学習の基礎をしっかり学び小学1年生に進級しているようです。

私がテレビの取材を受け「小学0年生」の案があることを知ったとき、真っ先に考えたのは、何歳からの入学で一体何を学ぶのかといった就学時期と教育内容のことでした。どうも「読み・書き・計算をやれば良い」・・・と言うような意見が多かったように思います。過去においても小学1年生の前にすべき教育内容をどうすべきか・・・という議論になると、まず出てくるのが「読み・書き・計算が大事だ・・・」と言う発想です。確かに大事ですが、それを学校に入る前の子どもたちの教育目標として掲げてしまうと、その前にすべき「考える力」を育てる教育がかすんでしまいます。私たちが実践してきた「教科前基礎教育」こそ、小学0年生にふさわしい教育内容であると思いますし、それが実現できれば、今幼児教育で検討課題になっている「幼小接続」の解決策になり、ひいては幼児教育全体の目標づくりが可能となっていくと思います。

では、「小学0年生」の内容をどうすればよいのでしょう。それは、小学校入学前にしておくべき課題は何かということでもあるし、最近出された「幼児期の終わりまでに育って欲しい10の姿」の具体化であると思います。小学校1年生から学習が始まるのではなく、幼児期からの学びの連続の上に小学校1年生の学びがあると考えるべきです。今多くの自治体で取り組んでいる「幼小連携」「幼小接続」の課題でもあるのです。私たちは長年「教科前基礎教育」のあり方を追究してきましたが、その内容こそが「小学0年生」の学習課題としてふさわしいはずです。それは、遠山啓氏が提唱した「原教科」の考え方であり、決して小学校で学ぶ内容の前倒しではありません。私は、48年間に及ぶ2歳から小学校3年生までの子どもたちの指導を通して、現在の6歳就学を1年引き下げた5歳就学も十分可能だと考えています。課題は、これまでの発想にとらわれず、学ぶ内容や学ぶ方法を変革しなければならないということです。従来の発想で就学年齢を1年引き下げれば、ますます学力差が顕在化し、何の解決にもなりません。この「小学0年生」構想を幼児期の学習内容の検討につなげれば、今問題になっている幼小連携の課題はおのずから解決するはずですし、日本の幼児教育のあり方が議論されるきっかけになるはずです。その意味で、9月入学が先延ばしになったからもう議論しなくても良いということではなく、この「小学0年生」構想を一つのきっかけにして、知育を軽視してきた日本の幼児教育のあり方に関心が集まり、その具体的な内容が議論されることを切に願っています。少なくとも年長児の学びを明確にすることが必要です。

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