週刊こぐま通信
「室長のコラム」今年の入試から何を学ぶか(4) 学力だけでは合格できない
第273号 2010/12/17(Fri)
こぐま会代表 久野 泰可
こぐま会代表 久野 泰可

12月12日(日)に目黒区中小企業センターホールにおいて、「2011年度 私立小学校入試結果報告会」を行いました。大勢の皆さまにお集まりいただき、私立主要14校について今年の入試問題をお伝えし、何が合否のポイントだったのかもあわせて報告いたしました。また、昨日(16日)は「合格カレンダー連続講座」第2回目として、「何が合否を分けたのか・・・学力以外に問われていること」と題し、面接や行動観察が何故重視されているのか・・・その背景を具体的にお伝えしました。今年の合否を1年間の学習記録をもとにクラス別に分析し、学力がなければ合格できない現状と、しかし、学力があってもそれだけでは合格できない現実を、データを示してお伝えしました。
今年の入試問題は、これまで聞き取った問題を見る限り易しくなりました。特に数の問題が減ったことがその一因ですが、この傾向が偶然によるものなのか、それとも何らかの理由があってのことなのか、少し時間をかけて分析したいと思います。学校側がどのように子どもを選抜したら良いのか、その迷いが問題の難易度の変化にあらわれているのかもしれません。校長が変わり、2年目あたりから校長の考え方が試験に反映するようになると、多少問題が変化するということはこれまでもたくさん見てきたことですが、極端な変化が同時に起こると、内部事情がわからない我々はその背景に何があるのかと考えこんでしまいます。
行動観察が重視されている背景は、学力だけでは入学後の子どもたちの成長の予測はしにくいし、そもそも年長11月のペーパーテストの結果が入学後の学力を保証しないと、学校側が考えているからです。それよりも、入学後の学校生活のレディネスとして、また子どもたちが成長していく原動力を考えれば、「友だちとの関係はどうとれるのだろうか」「物事にどのようにかかわっていける子なのか」「自分の考えをちゃんと言葉で表現できるのだろうか」「自主的に問題を解決していける子なのか」・・・そうしたことの方が大事だと考える先生方はたくさんいるはずです。学力面で言えば、偏差値が65の子と57の子の違いは幼児の場合どこにあるのか。大学入試の足切りではありませんが、ある程度の範囲があって、偏差値が65であろうと57であろうと2人とも学力面の課題はパスしたと考え、その上で行動観察の評価が合否の決め手になっているのではないか。・・・そう考えれば、学力の成績上位者から合格していかない現実がよく理解できるのです。例えば、9月に行ったある難関校の最後の模擬テストで、一番高得点をした偏差値71の子が合格し、同じように偏差値53の子も合格しています。しかし、一方で偏差値65の子も60の子も合格をいただけなかった・・・この事実をどう理解したら良いのでしょうか。この事実を理解するには、「学力試験では、偏差値71の子も、65の子も、60の子も、53の子も同じように学力面での合格ライン(足切り)に達していた。しかし、行動観察の評価がまちまちであったので、そこで合否の判断が分かれた」・・・と考えるのが合理的だと思います。学力順に合否が決まっていかない小学校受験独特の問題がそこにあるのです。
ところで、今年行われた入試の「行動観察」の課題も明らかになってきました。今ここにそのうちの何校かの課題を列挙してみますが、相変わらず「自由遊び」が中心になっていることがわかります。
A校 |
|
B校 |
|
C校 |
|
D校 |
|
E校 |
|
F校 |
|
運動的な課題・製作課題・集団ゲームなど、いろいろな課題が出されますが、ほとんどの学校で自由遊びの時間が確保されています。なぜ自由遊びかは以前にも書いた通り、本来の子どもの姿を見たいという学校側の思惑があるからです。ひとりで遊ぶわけではありませんから、必ず遊びを通して子ども同士の関係が生まれます。友だちとの関係をどうとれるか。コミュニケーション能力も必要であるし、譲り合いも大事です。実際の試験では教え込まれたとおりにことが運ぶことはありません。その都度起こる現実にどう向かい合えるのか、問題が起きた時、自主的に解決できるのかどうか。相談ごとは課題が出された時だけでなく、遊びにおいても常に必要です。自分の意見を言えなくてはならない、しかし他の友だちのことも聞いてあげなくてはならない。もし意見が食い違った時どのように解決していけるのか・・・そうしたありふれた日常的な場面を遊びの場面として再現し、その子がどのように育ってきたのかを学校側は見ようとしているのです。いじめの問題も、小1プロブレムの問題も、学校側にとっては深刻です。そうした、将来起こるかもしれない事態を想定して、子どもの動きをチェックするということは当然ありうることです。ここで問題なのは、その対策をどうしたらよいかということです。「こういう場合はこうしなさい」「こう聞かれたらこう答えなさい」・・・そんな指導がまかり通っていますが、それは学校側が求めていることと正反対のことを「指導」と称して行っているだけです。ある学校の校長が、「最近の子は、みんな形を教え込まれてくるから、困ったものだ」と嘆いていました。行動観察の対策は教え込みではいけないのです。経験を積み、子ども自らが考え行動し、解決していかなくてはいけません。指導と称して対応の仕方を徹底的にたたき込むからこそ、みんな同じ解決法・同じ答え方を身に付けて試験に臨むため、学校側には「奇異」に映るのです。本当に見たかった、その子らしさが消されてしまい、その結果、教え込まれ、訓練された子は拒否されるのです。
行動観察のための講座は、形式を教え込む場であってはなりません。常に課題を与えながら、子どもたち自身に問題の解決法を考えさせること、その経験の積み重ねが大事です。こぐま会でも「行動観察講座」は開いていますが、形式を身に付けることは一切行っていません。1時間以上の活動の中から評価すべきこと、直すべきことを子どもにも保護者にも伝え、それを生活の中で実践してもらうこと・・・そうすることによって子どもたちは1年間で大きく変化します。今年は「聖心行動観察クラス」を受講した47名の内43名が、聖心女子学院初等科を含め、難関校に合格しました。今年の実績を見れば、私たちの方針が間違っていなかったということが証明されています。教え込みの教育がいかにダメか、学校側にすぐに見破られてしまう対策がいかにダメかがよくお分かりいただけると思います。行動観察クラスこそ、「褒めて育てる」実践が大事です。