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週刊こぐま通信
「小・中・高 現場教師が語る幼児教育の大切さ」

vol.63「小学校低学年の国語の学習法」

2011年7月22日(金)
学習塾 プラウダス講師 石原弘喜
 算数や英語が一定の学習方法が確立されているのとは対照的に、国語は学習法が確立されていない唯一の科目であると言われています。これは市販のテキストを見ればよくわかります。国語以外の科目が理解や定着を類似問題の反復によって高めることを目的としているものが多いのに比べ、国語はそうではありません。

語彙力もそうです。言葉をたくさん身につけさせたいと思って子どもに覚えさせても、心に存在しない感情は言葉にできません。言葉と結びつく情緒がなければ、それを反復させたところで定着するものは存在しないからです。そもそも語彙力は言葉にできていない情緒を言葉化したものです。ですから「言葉にできないもの」が最初になくてはなりません。

「言葉にできないもの」と「言葉」をつなげる。それが国語であるとも言えます。言葉にできないものは言葉で学ぶことはできません。これが国語の学習法が確立されていない大きな理由のひとつです。

それでは読書はどうでしょうか。読書は小学校低学年において完成された国語の学習法になりうるのでしょうか。確かに、読書が国語力を高める最も有効な手段のひとつであることは間違いありません。読書は活字を通じて情報や知識を読み取る訓練として最も優れたものだからです。特に小学校低学年において、本を読んでいる子どもとそうでない子どもで決定的に異なる点は、速読と活字への抵抗感にあります。小学校低学年は、「好き・嫌い」で判断してしまうことが多く、活字を読むことが一旦「嫌い」の部類に入ってしまうと、そこから抜け出すには時間がかかります。

しかし、読書習慣を身につけた子どもが必ずしも学力の土台としての国語力を持っているわけではありません。子どもは自分の情緒以上の本を読むことはできないからです。よく観察してみると、自分の読みたい本を読みたいように読んでいることが多いものです。活字を読むスピードが速くても、正確に内容を理解できていないことも珍しくありません。

これは国語のテキストに見られる文章題にも同じことが言えます。文章題の正答率と国語力は比例するわけではありません。低学年の読解力は一時的なものです。得点や正解が目に見えて高いものであったとしても、学年が上がるにつれて予想しない方向に変化していくことはよくあります。

例えば、音読させてもそれほど流暢に読めるわけでもなく、作文を書かせても表現が拙くて決して上手とは言えない文を書く子どもがいます。しかし、その文章全体からほとばしる力強い情緒に引き込まれることがあります。その子どもは目に見える国語力が稚拙なため、学校の授業やテストではしばしば低い評価を受けます。しかし、成長と共に、低学年では見えなかった国語力が表に出てくると、驚くような国語力を発揮します。

小学校低学年にとって、見えない力が国語力の本質であると言えます。だからこそ、国語の学習法は確立されていないのです。見えない力を高めることは、「見える」テキストや教材によって育むことは難しいからです。

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