ページ内を移動するためのリンクです
MENU
ここから本文です
週刊こぐま通信
「小・中・高 現場教師が語る幼児教育の大切さ」

vol.61「先生は怒ると怖いの?」

2011年6月28日(火)
こぐま会
幼小一貫ひまわりクラブ算数担当
久野雅弘
 ひまわりクラブ2年生クラスは先週で第6期のまとめを終え、今週から第7期に入りました。2桁×2桁のかけ算やわり算の筆算を習得したことで、立式に求められる思考力と、正確に答えを導き出す計算力の双方が求められる文章題が多く出題されるようになり、毎回、子どもたちと一緒に悪戦苦闘しています。そんな中、先日、ある生徒から「先生は怒ると怖いの?」と聞かれました。学習内容とは少しズレてしまいますが、今回はその時感じたことをお伝えしたいと思います。

「先生は怒ると怖いの?」と聞かれたことはこのときが初めてです。おそらく多くの方も同じだと思います。
面白いことを聞くなと思いながら、しかし、この質問の回答は思いの他難しく、しばらく考えた後、「それは怖いに決まってるよ」と答えたら「どのくらい怖いの?」と聞かれ、また、しばらく黙ってしまいました。
私も昔、「あの先生、怒ると怖いの?」と友だちに聞いたことはありますが、本人に向かって「先生は怖いの?」と聞いたことはありません。仮に「先生は怖くないよ」と返答されたら、それこそ怖いですし、そもそも「怖い」という感情は、自分で感じ、自分で決定するものだと思うのです。

私が覚えている一番最初の「怖いもの」と言えば、幼少期の隣の家のおばあさんです。壁に向かって投げたボールが少しズレて隣の家に入ってしまう度に叱られていました。叱られて怖いけれど、キャッチボールはしたい。だからまた投げる。また失敗する。そして怒られる。「怖いけどキャッチボールは続けたい」その欲求を満たすため、その時私が出した結論は「失敗しないで的にボールを投げ続ける」でした。1球1球、「失敗したら・・・」というプレッシャーの中、どうしたら思い通りに投げることができるのか、常に考え集中して投げ続けていました。
「怖い」のは人だけではありません。石の下に身を潜めてるであろうズガニ、苔のついたブロック、雨上がりの崖、日々、危険な自然の中で「怖い」ものに対峙しながら遊んでいました。
また、小児喘息を患っていた私を小さな背中におぶり、アパートの階段を駆け下りて、車で15分の病院まで連れて行ってくれた母親に対しては、不安定で「怖く」て「心配」だけど「苦しい」し、けど「申し訳ない」というさまざまな感情を抱いていたことを思い出します。

静岡の田舎で不便な生活の中、両親は大変だったと思いますが、私はその環境の中でいろいろな感情を味わいました。さらにそういった感情をとおして、さまざまな試行錯誤をした記憶があります。
今は、時代も違えば住んでいる場所も違います。家の近所には巨大ショッピングセンターが立ち並び、休日にもなると、幼児が気持ちよさそうに眠っているベビーカーを押しながら、夫婦で買い物をしている家族をよく見かけます。今の私の生活も、幼少期に比べれば、すごく便利で快適なものですし、とてもありがたいことだと感じています。しかしながら、そうした環境が「先生は怒ると怖いの?」という発言を生み出してしまっている可能性を感じずにはいられないのです。
あの家に大きな庭があれば、集中力や向上心は身につかなかったと思いますし、あの家にエレベータがついていれば、母親に対して複雑な感情を抱くことはなかったと思います。

大人が求める「豊かさ」と子どもに与えるべき「豊かさ」にはズレがあるように思います。便利になることで、子どもが考える場面が減ったり、快適になることで、子どもが感じる感情が減っているように思います。最近の子どもはキレやすい、最近の子どもは覇気がない、と簡単に言う大人がいますが、それは我々が反省し改善策を講ずべきことだと思うのです。今の時代にあった子どもの環境をどう整えるのか、こぐま会の職員として日々考えていきたいと思います。

PAGE TOP