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週刊こぐま通信
「小・中・高 現場教師が語る幼児教育の大切さ」

vol.56「算数を得意にするマクロ環境 ~特別番外編~『算額』」

2011年5月24日(火)
こぐま会小学部長 渋谷 充
問題
【佐藤亀蔵 改】

【問題を改定し、略式解釈】
直角三角形の中の正方形(4点は見た目どおり直角三角形の辺上にある)に中円2つと小円2つが図のように内接している。また、直角三角形の2辺と正方形の1辺に接している中円と大円がそれぞれ1つづつある。図中の「中」「小」はそれぞれ同じ大きさ。
大円の半径と小円の半径の比を求めよ。

実際の問題は漢文で書かれているため、略式解釈して掲載しましたが、これは誰が作った問題でしょう。漢文だけに中国の誰かでしょうか。いえ違います。江戸時代後期1847年に提出された、日本の13歳の子どもが作った問題です。この問いを解くのには「三平方の定理」と「相似」が必要であるので、現在の日本の教育課程から考えると2次方程式が既習であることが必要条件となっています。
さて、江戸時代に日本は世界と国交を断絶していたのはいうまでもありません。この中、日本では独自に発展させた数学文化がありました。「算額」です。
当時、関孝和という和算家に端を発する関流の和算が日本で流行しており、子どもから大人まで和算を楽しんだといわれています。和算におぼえのあるつわものどもがその技量を競い合い、非常に難解な問題を作り、それを絵馬のような形式で感謝とともに神社に奉納したものを「算額」とよんでいます。全国に数々見つかっているこの「算額」は、問題の難易度が非常に高く、高校数学の知識を持っていても解ける問題はほとんどありません。そのような高度な数学を独自に発展させることを考えても、日本人の数学嗜好がかなり強いものであったことがわかります。
「算額」の中でも、上の問題は13歳の少年が作ったということで有名なものです。NHKなどでも放映されたようで、数々の議論がなされています。(原文の問題からは改定しているのでかなりスリムになっています。)
どうでしょう。解けるかどうかも定かではありませんね。佐藤亀蔵少年はそれどころか、この問題を作ったのです。問題の創作活動には、それを解答する以上の試行錯誤が含まれています。この業績は現代の子どもに置き換えてもかなり稀有な存在だといえます。

ところで、この「算額」の問題を分類すると8割から9割が幾何学の問題だといわれています。図形が嫌いな人には興味をそがれるような割合です。
何故このように偏ったのでしょうか。その背景には、単純に問題のオリジナリティが出し易いということや、洋算のように代数系の文字や記号が未発達であったことがあげられるでしょう。また、当時の数学への要請は測量などがメインで、代数系の学問はあくまでも結論を導く道具としてのみ存在していたこともあるでしょう。つまりより肯定的に捉えれば、基本計算程度を学んでいれば、それを道具として十分難解で唯一無二の幾何学問題にも取り組めたと、みることができます。諸外国の例からみても幾何学が実用的な要請に応えるのに近かったのです。自然科学の要請を受けて発展した、欧風の数学がそうだった様に、当時の鎖国している日本では、代数学独自の存在意義は幾何学に対しての非常に相対的な存在であった時代といえるでしょう。

しかし私はそんな議論をしたいわけではありません。ここではっきりさせたいのは、「算額」の幾何からは娯楽性が感じられるということです。算額に掲載されている幾何を見ていると、その発生の歴史を考えたり、学問としての位置づけを考えたりもしますが、そんな難しい話ではなく、単純に「楽しそう」ですし、「見た目も美しい」のです。実際、上の少年の出題も、彼のその時点での知識を利用してできる最大限に難しい問題を作成しています。また同時にみえるのは、円をふんだんに使い、いわば魅せる問題に仕立て、解答も初動から結論まで論理破綻を起こさないようにきれいに仕上るようにできている、ということです。よほど試行錯誤をして作り上げたことでしょう。幾何学の純粋性をとことん追及し、それを媒介にして完全に楽しんでいることが伺えます。幾何学には本来そのような楽しさが備わっているのです。「幾何学」と「楽しさ」はほぼ同義語といっても過言ではありません。

算数教育の中で幾何学は重要な位置付けにあります。しかしながら、教科書を眺めてみても小学校から高校まで、純粋に図形の定性的な役割を学ぶ単元はほとんどありません。大学のセンター試験でも図形の定性的な出題よりは計量がほとんどです。その理由を極論すれば、教えることがないし、より高度な幾何学をやるためにはもっと代数計算を学んできてからでないと話にならないからです。よって、確かに代数学と違い現在の教育システムでは非常に評価しづらい学問でもあります。しかし「算額」をみると幾何学の純粋な楽しさを感じざるを得ません。その大きな存在感の魅力と重要性を、私たちの先祖から教えられているようです。自然から発生した学問が算数や数学ならば、その数学が学問として成りえるのは幾何学の純粋性があるからでしょう。個人的には、ゆとり教育からの新指導要領への移行が完了してしまったのは残念です。どうせ授業時間を増やすなら、ぜひ本来の幾何学を追究する時間があってもよかったと思います。

亀蔵少年といえど、私の大先輩。感服いたします。

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