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週刊こぐま通信
「小・中・高 現場教師が語る幼児教育の大切さ」

vol.1「こぐま会との出会い」

プラウダス講師 石原弘喜
2010年3月19日(金)
 もどかしい思い――。

中学受験生・高校受験生・大学受験生を教えれば教えるほど、その思いは薄れるどころか、募る一方でした。教えることを突き詰めようとする時、常に大きな壁にぶつかってきました。

成績を上げて志望校に合格させることはできても、「学力」を上げることはできないという壁。「学力」というあらかじめ決定された条件で中学受験・高校受験・大学受験に挑むという意味に対して、常にもどかしい思いを抱えてきました。

あるひとりの生徒の成績の伸びは、教え手によって異なります。教え手のスキルによって何倍もの差が開きます。一方、教え手のレベルが高くなると、生徒の「学力」からその「伸びる天井」を察知する力も身についてきます。「伸びる天井」まで成績を到達させる力を教える力だとするなら、その力が充実すればするほど、その天井を超えさせたいという思いが私の中で強まっていきました。しかし、その先には常に「学力」の壁が立ちはだかっていたのです。

学力。それは「考えるエンジン」であり、その土台には「考える力」があると私は考えています。学力を高めることでその後の「伸びる天井」が決まってしまうとするならば、学力が決まる前の教育が最も重要であるということになります。それは「考える力」の教育と言い換えられます。私が「考える力」を育成すべき時期と方法を探し始めたのはそれからです。

そうしてたどり着いた答えがこぐま会の幼児教育でした。「算数の計算がどれだけできるとか、漢字がどれだけ読めるとか、文字がどれだけ書けるとか読めるとかいうことではなくて、物事を考える力を幼児期にどれだけ身につけさせるか」というこぐま会の久野代表の言葉と出会い、根雪のようなもどかしい思いが熱湯で氷解していく感覚に襲われました。パターン化された先取り学習や暗記学習がいかに考える力を阻害し、中学受験・高校受験・大学受験を台無しにしている現実を知っているがゆえに、久野代表の言葉は私の心に深く突き刺さりました。ここに「学力」の源泉がある。そう確信した私は、実際にばらクラスで教えることを決意したのです。

三つ子の魂百までのことわざ通り、幼児期で獲得した「考える力」は「意識」となります。「意識」は「習慣」をつくり、「習慣」は「人間」をつくります。現在、私は東大・京大をはじめとする難関大受験から小学受験までのすべての受験に携わっています。その一貫したタテの視点から、幼児教育の重要性をこのコラムでお伝えしたいと思っています。

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