ページ内を移動するためのリンクです
MENU
ここから本文です
週刊こぐま通信
「知育を軽視する日本の幼児教育が危ない」

幼児教育の重要さが叫ばれても、何をすべきかが明確でない

第25号 2014/9/23(Tue)
こぐま会代表  久野 泰可
 OECD保育白書にあるように、労働経済学の立場から、どの段階の子どもたちに最大限教育投資をすれば一番効果的かという議論の中で、さまざまな実証研究を踏まえて出された結論は、幼児期の教育に最大限投資することが、学びが学びをよんで一番効果的だという結論でした。J.ヘックマン氏の主張に多くの国が賛同し、国家の施策として幼児教育に力を入れていこうという動きになっています。しかし、ヘックマン氏の主張を待つまでもなく、教育政策の中で幼児期の教育が一番大事であるということは、だれが見ても明らかです。ノーベル経済学者が言ったからではなく、人間の成長を考えれば明白なことです。その明白なことが実行されてこなかったのは、やはり国家政策として「産学共同」が推進され、大学教育の変革を最優先しなければだめだという雰囲気があったからだと思います。

私が学生時代、教育に関する研究集会に参加していた頃、いつも感じていたことがあります。それは、集会においてはいつも大学の研究者が偉く、次が高校、そして中学・小学校の教師・・・と下りて行って、一番下に見られていたのは幼児教育の現場教師たちでした。一番大事にされなくてはならない幼児教育の担い手の発言は、時に大学の研究者から賛同も得られず、その発言も低く見られていました。現場の教師たちの発言が大事にされていく雰囲気はどこにもありませんでした。それだけではなく、保育者の働く条件も劣悪でした。この光景を見た時、私は、日本の幼児教育を変革するには、幼児教育の現場に入ってきちんと過去の遺産に学び、自分の言葉で自分の実践を理論づけていかなければだめだと感じました。それが研究者の道をあきらめ、それ以降40年以上にわたって現場にこだわり続けてきた私の、この仕事に対する発想の原点でもあるのです。

翻って、今はどうでしょう。国家の政策として、5歳児を義務化するという方針が出されているのにもかかわらず、何をどう学ぶかの議論はどこからも起こってきません。挙げ句の果て、「小学校1年生の学習を優しくして下ろせば良い」、「読み・書き・計算を徹底してやればよい」・・・というようなとんでもない議論が真面目に行われているのです。これが、日本の幼児教育が「知育」を軽視してきた結果であり、明白な証拠です。教育の変革はいろいろな側面で議論されなくてはなりません。しかし、教育行政ばかりが先走り、肝心かなめの教育内容がきちんと議論されなければ、その政策は成功しません。教育改革は、内容が伴って初めて意味があるものになるわけで、特に人生はじめての学びである幼児期の基礎教育は、しっかり議論されなくてはなりません。既存の教科を薄めて優しくして下ろせば良いということにならないように、関係者が知恵を絞り、実践を持ち寄って、新しい考え方で基礎教育の充実に臨まなければなりません。「教科前基礎教育」「事物教育」「対話教育」を掲げて40年近く現場に張りついてきた私たちの経験が、こうした状況下で少しでも生かされれば、それは私たちにとって一つのゴールでもあるのです。

PAGE TOP