週刊こぐま通信
「知育を軽視する日本の幼児教育が危ない」「原教科」という発想
第21号 2014/7/29(Tue)
こぐま会代表 久野 泰可
こぐま会代表 久野 泰可

私がメソッドを構築していく際に一番参考にした考え方は、遠山啓氏の考え方です。このシリーズの第3号に遠山氏の考え方を紹介しましたが、とても大事な考え方ですので再度ここに掲載させていただきます。遠山氏は、知的障がい児に算数をどう教えるかの実践記録である『歩きはじめの算数』(遠山啓 編(1972)、国土社)の「まえがき」の中で、次のように述べています。
この本を読まれた読者は、教科教育といっても、従来の算数教育でやっていたものは何一つ見当たらぬではないかという疑問を抱かれると思う。もっともな疑問であるし、たしかにその通りである。この本でとりあげられている内容は、未測量にせよ、分析・総合にせよ、空間表象にせよ、すべて従来の学校でやっていなかったものばかりである。
しかし、私たちは、このようなものこそ小学校の算数教育の始まる前に十分身につけておいてほしいものだ、と考えている。それは、従来の教科教育、とくに算数教育が始まる前に、その準備として、このような学習が必要である、と考えたのである。そういう性格をもったものを私たちは「原数学」とよんでいる。
したがって、ここで実践されているさまざまな内容や方法は、一般の幼児教育にも役立つのではないかと、ひそかに期待しているのである。
しかし、私たちは、このようなものこそ小学校の算数教育の始まる前に十分身につけておいてほしいものだ、と考えている。それは、従来の教科教育、とくに算数教育が始まる前に、その準備として、このような学習が必要である、と考えたのである。そういう性格をもったものを私たちは「原数学」とよんでいる。
したがって、ここで実践されているさまざまな内容や方法は、一般の幼児教育にも役立つのではないかと、ひそかに期待しているのである。
また、別のところでは次のようにも述べています。
......教育がしだいに下降していって、もっとも根源的なものに到達し、ここを出発点として、両び〔原文ママ〕上昇することができたら、これまで教育不可能とされてきた障害児も教科教育が可能となるだろう。
そのためには、いうまでもないことだが、従来の教科に対する固定観念を打ち破って、根源的なものに深く下降していく必要がある。たとえばこれまでのべたいくつかの指導法は、従来の数学という教科では行われたことのないものばかりである。このような分野を私は「原数学」(Ur-Mathematik)とよぶことにしている。
これを他教科にまで拡張すれば「原言語」「原音楽」「原造型」・・・・・・ともいうべき分野が新しく開拓される必要があろう。そしてそれらを総称すれば「原教科」という分野が設定できよう。これは人間の精神活動の萌芽形態を探究するためのもっとも興味深い分野となるだろう。」(p.20)
そのためには、いうまでもないことだが、従来の教科に対する固定観念を打ち破って、根源的なものに深く下降していく必要がある。たとえばこれまでのべたいくつかの指導法は、従来の数学という教科では行われたことのないものばかりである。このような分野を私は「原数学」(Ur-Mathematik)とよぶことにしている。
これを他教科にまで拡張すれば「原言語」「原音楽」「原造型」・・・・・・ともいうべき分野が新しく開拓される必要があろう。そしてそれらを総称すれば「原教科」という分野が設定できよう。これは人間の精神活動の萌芽形態を探究するためのもっとも興味深い分野となるだろう。」(p.20)

