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週刊こぐま通信
「知育を軽視する日本の幼児教育が危ない」

なぜ「事物教育」か

第8号 2014/3/4(Tue)
こぐま会代表  久野 泰可
 韓国では、新しい大統領が教育に相当力を入れていて、昨年3月からは年長児の保育料は無償になっているようです。その上、小学校の教科学習にスムーズにつながるよう、幼児期の知的教育にも相当の力を入れているようです。そんな状況があるのか、ここ2年程の間に、韓国の幼稚園の園長先生方がわざわざ東京に出向き、私の授業を見学に来られています。毎回15~20名ぐらいずつ、これまでに総勢200名を超す方々が見学されました。午前中は私の教育セミナー、午後は授業見学というスケジュールですが、セミナーが終わるといつもたくさんの質問を受けます。

「1クラス何名か」「理解の遅い子がいた場合どのようにフォローするのか」「家庭用教材はどうしているのか」「事物を使う教育は素晴らしいと思うが、教え込みの教育法を学んできた私たちにできるだろうか」「三段階教育法は世界中どこを探してもないと思うが、なぜそういう方法を編み出せたのか」「65歳になっても毎日現場に立っている理由は何か」・・・こうした具体的な質問が飛ぶのは、やはり現場を持っている実践者だからでしょうか。

韓国では教育内容改善のために、園長先生方が優れたプログラムを世界に求めているようです。そうした状況の中で、「KUNOメソッド」の優秀性を認めてもらえたことは、大変光栄に思います。KUNOメソッドを評価する一番の理由は、知識や技能を教え込むメソッドはたくさんあるが、「考える力」を育成するメソッドがどこにも見当たらないから、ということのようです。メソッドの三本柱である「教科前基礎教育」「事物教育」「対話教育」の中で、韓国の園長先生方が特に評価しているのは、「事物教育」のようです。意図的な知育は、教科書があって、ノートがあって、黒板があって・・・という従来からあるスタイルをイメージしやすいのですが、それを覆す新しい教育法に新鮮さを覚えているようです。子どもたちが受け入れやすく、楽しい学習ができる方法であることを、毎日子どもに接している実践者の皆さんは直感できるのでしょう。

私が「事物教育」を大切にしようと考えたのは、一つには、モンテッソーリ法の中心である感覚教具の素晴らしさです。また、フレーベルの恩物の考え方からも影響を受けました。それらを使って実践した数学者である遠山啓氏の都立八王子養護学校(現・都立八王子特別支援学校)での教育実践からも多くのことを学びました。理論的根拠は、ピアジェ、ワロン、ブルーナ―に多くを学び、特に心理学者のピアジェの理論に強い影響を受けています。

事物の構成は、何らかの教授の結果ではないことに注目してほしい。事物の構成は、赤ん坊自身がイニシャティブをとって働きかけた結果である。もし彼が事物に働きかけなかったならば、事物は彼にとって存在しないであろう。もし事物が存在しないとすれば、時間と空間は構造化され得ないであろうし、因果性の観念は決して獲得されないだろう。そして、確かにどんな表象も論理学も、物理学も、歴史も存在し得ないであろう。要するに、自発的な活動がなければ、子どもにとって知識というものはないのである。
コンスタンス・カミイ/リタ・デブリーズ著, 稲垣佳世子訳(1980年)
『ピアジェ理論と幼児教育』 チャイルド本社, p.34

こうした文章でも明らかなように、心理学者であるピアジェは、知識の獲得には自発的活動が必要であるし、事物に働きかけることによって物と物との関係付けを行い、その結果として、論理 - 数学的知識を作り上げることを強調しています。

私が幼児教室の教師として実践の世界に飛び込んだ最初の年、年中の子どもたちを前に何をどう伝えるかに悩んでいた頃、そうした先人たちが残した遺産から多くのことを学び、毎日の実践に生かしてきました。モンテッソーリの感覚教具ほど精巧にはできていませんが、毎日使う教具はほとんど手作りで準備してきました。子どもにとって楽しく操作できるものはどんなものか、大きさはどうか、素材は何を使うか・・・指導の目的に合わせて教具を作ることの中に、すでに授業は始まっていたのです。その意味で、幼児教育における教材準備は大変大きな意味を持っています。40年間も子どもと接し、いろいろな経験を積んでくると、作り上げた教具を見ながら、こんな質問をすると子どもたちがどう反応するかの予想がつくのです。そうした、子どもとのやりとりをイメージしながら準備する教具・教材作りですから、何を準備するかによって授業の質が決まってしまうと言っても過言ではありません。いつもそんなことを考えながら教材準備に取り組んできました。

事物に触れ、働きかけ、答えを導き出していく、その試行錯誤のプロセスこそ大事にすべきであり、決して結論を教え込み、それを覚え込ませていくことが幼児教育ではありません。自ら獲得した認識は、どんなに時間がたっても忘れることはありませんが、教え込まれた知識は時間がたてば忘れていくものです。それは、有名なピアジェの実験によって明らかになっています。ものに触れること、それだけでなくものに働きかけること、そして自分の力で解決に至ること・・・このプロセスを生かす教育法が、幼児期の基礎教育の命です。それを抜きにした幼児教育法は、私の経験からはあり得ないことです。


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