週刊こぐま通信
「知育を軽視する日本の幼児教育が危ない」正しい小学校受験対策こそ知育の最大の機会
第5号 2014/2/7(Fri)
こぐま会代表 久野 泰可
こぐま会代表 久野 泰可

「遊び保育・自由保育で良い」と言いつつ、一方で、子どもが入学後ちゃんとやっていけるのかどうか心配になり、多かれ少なかれ、幼児期からの知育を求めていることだけは確かなようです。しかし、そこで行われている教育が、将来の知的学習の基礎になっているかと言えば、大変疑問があります。私たちが考えている幼児期の基礎教育とはほど遠い内容だと言わざるを得ません。なぜでしょう。
幼児期の子どもを持つご家庭が一番必死になって知育を行おうとするのは、やはり小学校受験だと思います。見方を変えれば、受験は幼児期の知育の最大の動機づけだということです。しかし、その受験対策で一体何が行われているか・・・「最大の動機づけでありながら、間違った幼児教育の最たるものは、受験教育だ」と言っても過言ではありません。私もその立場に身を置きながら、なぜこんなことを言わざるを得ないのか・・・それは、この業界に身を置いて見えてきた受験教育の実態が、あまりにも望ましい知的学習とかけ離れているからにほかなりません。どんな点でしょうか。
- 徹底して「型」「技術」を教え込めば良いと考えて、詰め込み教育をしている
- 子どもの知的発達を度外視し、ともかく早く過去問ができるようにしようと無理をする
- 最初からペーパーワークに取り組ませ、事物に触れ、自分で考えようとするチャンスを与えない
- 保護者に見学させ、「できる - できない」を大勢の子どもたちの前で植えつけていく。時にはご褒美を用意し、子ども同士を競わせる(それは結果として、見ている親同士を競争させること)。一番やってはいけないことを、教育の名のもとに行っている
- こうした誤った教育の結果、自分で考えようとしない勉強嫌いな子どもを大勢生み出している

私は、42年間この世界に身を置き、実際に毎年大勢の子どもたちの受験指導にあたってきましたが、最大の動機づけでありながら、一番間違った幼児教育を行っているこの受験教育は、とても残念でなりません。こぐま会のように、幼児期の基礎教育をきちんとやる中で、受験対策も同時に考えて行かなければなりませし、それが可能な時代になっているということです。そこには、学校側の問題作成に関する相当の努力があり、ゆがんだ特殊な教育をしなくても受験可能な時代になったということです。